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建築学科=競争 の中で感じること

 こんにちは。先日、設計課題の提出が済み、一息つきたいところですが、他の課題や仕事も溜まっており、なかなか手を止められない今日この頃。皆さんはいかがお過ごしでしょうか。今回は、建築について、というよりも、僕自身が建築学科の生活の中で感じたことについて書きたいなと思います。

 僕が今学校でやっている設計課題ですが、建物のコンセプト、デザインが大きくみられる課題であり、その課題を通して僕は、自分にあまり設計のセンスはないのかもしれない、という風に感じ始めました。(建築学生の多くがこのフェーズを経験すると思いますが笑)
 建築学科には、提出された作品のうち、優秀な作品を選び全体の前で発表を指せる「講評」というシステムがありますが、この完全に比較されるシステムは、いい意味で競争社会を感じさせ、自分の成長のために焦りを与えてくれます。

 僕が自身でも設計をしながら他の優秀者の作品を見て思うのは、講評の対象に選ばれる優秀な設計案には、コンセプトのインパクト、グラフィックや模型の表現力が非常に優れているなという事です。
 とはいえ、センスだけでそれだけの域に達している人はいないなという事も、同時に思います。やはり、そうしたいいものを作っている人たちは、それだけ建築やデザインのことが好きで、日々そうしたデザインについて考えていたり、課題の時に行う試行錯誤の回数、体力、気力なんかも、他の人に比べて多いのだろうと思います。
 好きで、やる気があるからこそ、与えられた時間が同じでもそこについ焦る密度や熱量が変わってくるという、言ってしまえば至極当然なことな訳ですが、同じラインの上で評価を受ける以上、僕も「あぁ、すごいなー」と外から見ている訳にはいかないわけです。

せっかく学費を払って大学に通っている以上、自分の感性と直感だけで好きなものを設計するのではなくて、先生方の考えを吸収して、その軸に沿ったものを作りたいと考える人間なので、やはり、現状よりはいい成績をとりたいなと考えます。

そうなるとやはり、今の自分には必死さや夢中さが足りないように感じます。もっと楽しめよ、と自分で思います。
優秀な人たちは先生や先輩に、積極的にアドバイスを求めて、自分の案をブラッシュアップしたりしますし、昨年度は自分もそっち側でしたが、今年度は自分の課題に取り組む姿勢や案そのものに自信が持てず、わざわざアドバイスをもらいに行くのにも気が引けてしまっているような感じがします。
まず、そこを脱却する必要がありますね。
そして、そうするためにも、より深く建築のデザインについて考え、多くのいいデザインの建築をインプットし、コンセプトを練る力と造形力を高める必要があると感じました。

このように、優秀な人たちとそうでない人(=自分)を明確に分けられると非常に悔しいのですが、だからこそもっと自分自身を高めなければいけないと感じます。
学生のうちにこういう、ある種過酷な(?)環境下に置かれると心が折れそうにもなりますが(一年生の時なんかは、特に疲れを感じました)、自分に足りない物に、学生のうちに気が付けるのはチャンスだと思います。あきらめずに、まだ足りない物を補えるのなら、今ひどい評価を受けても全然いいと思えるようになりました。このマインドは、社会に出てからも忘れたくないですね。
競争、比較の中で他の人に及ばない部分は多々あると思いますが、それを基に自分をもっと成長させていきたいです。そして、その過程を楽しむことが一番成長につながるのではないかと感じます。

設計課題は、今学期あと一回しか提出しませんが、全力を尽くしたいと思います。


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