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臭いものに蓋をしたところで

どうにも2週間ほど鬱々とした日々を過ごしていた。

心と体がとおい所にあってうまく噛み合わない。

日常に疑問をいだき出したら止まらなくなって、自分の中にしまっていた記憶と気持ちをひたすらにひっくり返した。

ようやくお目当てのものを見つけた頃には、散らかしたもので辺りはひどい有り様になっていて、まともな生活を送れる状態ではなかったらしい。

何を『まとも』というかはよく分からないが、食って寝ることで日常がいっぱいになってしまう。

だから普段から断捨離して整理整頓しとけって、あれほど思っていたのに、つい後回しにしたあげく臭ってきたそれに蓋をしてさらに押し入れの奥底に詰め込んでしまうのだから、どこまでもマヌケだなとうんざりする。



話が変わってこっちは物理的なエピソードで、部屋の押し入れを大胆に整理した。自分一人ならホームレスになるレベルまで断捨離できたのに、これが結婚などして群れを形成し始めると途端に難しくなる。

物にIとYOUとWEが混在して複雑になり、整理の次元が一つ上がる気がする。

とにかく部屋の中に物を広げてみる。一つ一つ夫婦で確認しながら切り捨てていく。お互いの合意がいる。

たとえば僕のギター、3年はまともに触れておらず、もう流石に手放していいんじゃないかと思ったのだが、嫁が嫌だという。

これだけで既に自分のもだと思っていたギターに嫁の気持ちが混在している。

結局のところ、残すことにした。

いつかまた弾いてほしい気持ちと、いつかまた弾きたい気持ちが混在したギターに蓋をして、奥底にしまう。

発酵が進みすぎて嫌悪感を抱く前にまた掘り起こして、そのギターと私たちはどう向き合うのか、考えなきゃいけない。

たぶんそうしないと、あまり良くないタイミングでまた部屋がめちゃくちゃになってしまう気がする。


なんとか断捨離を終え、押し入れは最終的に襖を外した状態にした。見せる収納というやつだ。部屋が広く感じる。

逆説的に、今まですこし窮屈に感じていたことの証明になる。

蓋をしたものは無意識レベルに精神を圧迫しているということだ。借金に似ている。

だからきっと、僕の頭の中で起きた大惨事も自分一人のものと思っていた気持ちや記憶が、実は『私たち』のものだったことで、うまく捨てられずにとりあえず蓋をしてしまっていたから起きたことな気がしている。

だからきっと話さなきゃいけない。気持ちと記憶について。襖を外して、見える状態にしながら話すのがいい。

そんな作業をしていた台風明けの天気にあてられて、まんまと元気になった。

心地いい空間から眺める外の景色は、すこし大げさに輝いたりする。

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