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発達障害克服してみた 戦略の巻

 (この記事は2021/09/12にリライトしました)

 前回の「序章」はこちらから

 まず自己紹介を兼ねて自分の持っていた発達障害的症状を簡単に羅列してみようと思います。 そしてそこからどのように回復のスタート地点に立ったのか、一連の流れと戦略を紹介しようと思います。

 ・小学校時代はADHDなのか積極奇異型のアスペルガーだったのか、一方的にべらべら喋る人間で、言葉のキャッチボールというよりドッジボール状態でした。小学校4年以降は自らの行動のせいで、いじめなどを経験した。皆で協力すべきことをド忘れしてすっぽかすなどの不注意行動やテストでの計算ミスといったケアレスミスも多い子供でした。

 ・中学時代は何か言葉を発する度に「空気読め」と周りから言われ続けた。コミュニケーションがとにかく苦手。さらに放課後や休日まで部活で人間と関わらないといけないのが理解できず、すぐにバスケットボール部を退部、帰宅部でした。

 ・スポーツはからっきし。体力テストはかなり苦痛でした。

 ・高校時代になるとこれまでの人間関係のトラウマなどから周りから嫌われている、馬鹿にされているなどの妄想に苦しみストレスがマックスに。ストレスで顎のかみ合わせがおかしくなり、身体症状が頻発。さらにストレスから周りに対して攻撃的になり孤立。さらなる精神・肉体の悪循環に陥る。

 ・一方で、読字・学習障害はなく勉強は得意。見たものを一度で全て覚えるカメラアイと呼ばれるレベルでは無かったものの、教科書は何度か読むだけで覚えることが可能な視覚優位型でした。

 とまあ、このような有様だったんですね。もっと簡単に一言で自分を表現すると人間関係が最大の鬼門で、たまたま勉強が出来たためにギリギリ何とかなったというタイプでした。高校時代が最大の暗黒期で、対人恐怖や鬱も併発してしまいました。今考えてみれば、発達障害の二次障害と言えるのでしょうが、当時は発達障害者は二次障害として鬱を発症しやすいなどの細かい情報は知らず、まずは鬱状態を何とかしようと近くの精神科クリニックにお世話になることにしました。
 ところがそこのクリニックは、一分診療という言葉を地で行くようなところで、適当な問診でとりあえず薬が処方されたのみで飲んでも全く効き目がないという有様でした。その後、何度か通った後に、そこの医師に「自分は発達障害ではないのか」という疑問をぶつけました。しかし、面倒くさそうに「一応検査は出来ますが・・・」といった態度を示してきたので、「じゃあ、もういいです」と言って、それ以上通うのを止めました。言葉で表すと些細なことの様に感じられるかもしれませんが、腹立たしいほどやる気の感じられない医者でした。帰り道に一緒に付き添ってくれた父親も少し怒っていたのを覚えています。これが、「序章」で述べた医師や薬への不信感の正体です。

 そんな状態で、幸いにも勉強というのが人と関わらずに済む作業であったことと、上にも書いたように勉強が得意だったという事情もあり、何とか勉強だけは頑張ることで某地方国立大学に合格することが出来たのです。
 しかし、大学に合格するだけでは自分の抱えている対人恐怖やうつ症状が自動的に回復するわけではありませんし、勉強さえしていれば何とかなった受験生時代から、大学生活では人とコミュニケーションを取らなくてはなりません。つまりまたしても問題が再燃することになったわけです。

 しかし、何もかもが高校時代に逆戻りになったわけではありません。大きく違ったのは、一人暮らしを開始して初めて十分に自分の時間を持つことが出来たということ、そして高校と比べれば少ない授業時間に長すぎるくらいの長期休暇(夏休みや春休み)が自分に与えられました。
 そんな自由と時間を与えられたなかで、私は今後どのように生きていくかということを真剣に考えるようになりました。そして導きだした結論は、本当に必要なごく最低限の人間関係のみ以外の人間関係は捨てて、まず第一に心身の健康と安定を作り出し、次に自力でお金を稼ぐという2つに自分の全てを投じることに決めたのです。

 お金を稼ぐことよりも心身の健康を最優先にした理由は、中流家庭に育ち極度の貧乏ライフを送ったわけでもないのに、このような苦しみを味わったので、お金がいくらあっても心身に問題があれば幸せにはなれないということを痛感したためです。
 次に人間関係を捨てた理由は、これまで頑張って人間関係を良くしようと努力したためとにかく人間関係に疲れてしまい、これ以上努力することに限界を迎えたというのが自分の本音だったからです。しかし、「人間関係が大事」「友達を沢山作りましょう」という日本社会の洗脳を受けてきた自分としては、最初から吹っ切れて人間関係を放棄することが出来た訳ではありませんし、そこには当然葛藤もありました。ですが、これまでと同じことを同じようにやっていては、また同じ結果がやってくるだけですし、結果を変えたければ大きく自分の行動を変えるしかありません。また、サブリミナルの如く人間関係の大切さを迫ってくる日本社会の常識にウンザリし、「本当に人間関係が無ければ幸せになれないの?」という少し怒りにも似た感情を持っていたのも事実です。
 そうして勇気を持って、人間関係を捨てて生きる方に少しずつシフトしていったわけですが、最終的にまず優先的に取り組んだ「心身の健康を回復する」ことの取り組みの中で、人間関係を放棄するということへの決意が高まったある気づきが訪れます(それでも完全に吹っ切れるまでにはかなりの時間を要しましたが)。次回以降の第一章は、どうやって心身の健康を回復していったかと、その気づきについて詳細を記していこうと思います。

 


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