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人には人の死生観

僕にとって、死ぬということはとても無慈悲で恐ろしい終わりである。病気や老いを抱えたまま、苦しみながら延命するのは嫌だが、そうでなく健康であるならばなるべく長生きしたい、出来る限り死からは遠ざかっていたいと考えている。だから死は救済だという考え方を初めて聞いた時には随分と驚いたものだ。人には人の、人それぞれの死生観がある。

人は死んだらどうなるのだろう?天国や地獄に行く?生まれ変わりは?死んだら全てなくなって無になる?魂は存在する?肉体は死んで無くなっても精神はどこかに保存される?人は死んだらどうなるかについては、死んでみないと分からないというのが面白いと思う。死んでみないと分からないということは生きているうちには正解が分からないということで、結局自分が生きやすいように考えることしか出来ない。「その考え方はしんどくないですか?こういう考え方はどうですか?」とお勧めすることは出来ても、「その考え方は間違っている!こっちの考え方の方が正しい!」と言うことは出来ない。多様性だ何だと声高に語られる昨今だが、否応なく多様な考え方にならざるを得ないのが、「死」という分野なのではないかと思う。

死生観のように、人それぞれ違う信念や価値観を持っていながらも互いに過度に干渉しない……その他の様々な分野でもそうだったらいいのになと思う。恋愛観、結婚観、セックス観、家族の在り方、働き方、食、政治思想、宗教、経済観念。我々はあまりにも唯一絶対の正解を求めすぎているのではないか。死んでみないと誰にも分からないからこそ多様性が許容されている。それでいいんだよ、って思いますね。

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