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な と むるす

疲労と睡眠不足により真っ当な文章や物語を紡げる気がしないので今日はただ文字を排出して並べるだけにしてみることにする。

些末な控えの丸みを能力値で合算する。メルクリウスの書籍は昨今の感覚だともはや優位性を保つ確率の方が少ないと言わざるを得ない。単刀直入に言うならば桜の咲く音がしたというのは虚言に他ならないが、友達のよしみでな と むるすにこうした縁がある。珍奇を尊ぶ角の生えた民族が罵声を浴びせてくる地獄の機関車。

これは一体何なのだろう。これをすること、これを供すること、公開することの意義とか意味とかを考える。ここまで繋いできた毎日投稿を継続したい。その意気やよし、である。だがそれは手段の目的化になってやしないだろうか。意味の分からない文章=前衛的で面白いもの、ではない。そんなことは分かっているはずだ。毎日書くことは目的ではなく手段であったはずだ。何も思い浮かばない、考えるパワーがないからと、ただ意味のない文字の羅列に逃げ、此れを以て一本の投稿とするのは甘えなのではないだろうか。こんなことをするくらいならばいっそ何もしない方が良いのではないか。意義とか意味とかを考える。

意義意義意義。意義について考えるに、『な と むるす』という全く意味のない羅列が引っかかった。ただ文字を排出するにしても、文章にすらなっていない、ここまで意味のないものをひり出すことは難しい。『な と むるす』ってなんなんだ。用法から鑑みるにどうやらサ行変格活用の動詞であるらしいことは分かる。それ以外は何ひとつ意味が分からない。と、の両脇にある半角スペースはどういうつもりなのだ。むるすって何なんだ。面白さを履き違えた悪ふざけかもしれない、意味の分からない単語、文字の羅列を面白いに結び付けた安直な考えなのかもしれない。しかしこの『な と むるす』だけは1枚壁を越えた向こう側にあるもののように思うのだ。

ただ文字を排出して並べてみようと書いた数行。数行書いて我に返って、書いた数行を振り返って、意味の分からぬ『な と むるす』に翻弄された。この行為は果たして創作と呼んでいいものなのだろうか。自問と自戒を込めて、私はここまで空白にしていたこの駄文のタイトルを『な と むるす』とすることにした。いつかこの駄文たちがまとめられて本になる時があるとしたら、明朝体で表紙にでんと描かれてタイトルに冠せられるかもしれない。

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