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【ショートショート】スクワット委員

 担任の先生は、黒板に必要な委員を書き出すと、そのまま教室の後ろに下がった。生徒の何人かが口を開き、そのうち何人かが立ち上がり、しばらく話し合って、委員長と副委員長とが決まった。
「じゃあ、残りの委員、順番に決めていきまーす」
 委員長は僕の後ろの席、はきはきして賢そうな女子だ。副委員長はメガネの男子。二人の仕切りで、話し合いはどんどん進んでいく。誰も余計な発言はしない。話し合いを邪魔することもない。
 前の中学校とは全然違う。二年生に進級するタイミングでの転校だから、それほど気負う必要もないと思っていたが、とんでもない。このままでは、このクラスで埋もれてしまう。
 僕は、スポーツが得意なわけでも、笑いが取れるわけでもない。取り立ててかっこよくもないし、可愛いキャラでもない。だとしたら、今、生き残りのためにできることは一つしかない。
 いいやつでいること。
 幸いにも、それをアピールする瞬間はすぐに来た。
 スクワット委員。
 突然、教室が水を打ったように静まり返った。誰も手を挙げない。発言もしない。黒板の前の二人も、息を詰めて止まっている。後ろにいる先生は、窓の外を見ている。遠くから真っ黒な雲が近付いてきていた。
「はい、やります!」
 いいやつは、みんなが嫌がることを率先してやるものだ。スポーツの苦手な僕に務まるか、不安がないでもなかったが、根性だけはあるつもりだ。スクワットは、運動神経より根性の種目だろう。
「いいのか」
 クラス中から異口同音に聞こえてきたささやき声。なにが「いいのか」なのか分からない。「やってくれるのか」なのか、「こいつでだいじょうぶか」なのか。
「先生。前園君は、転校生なんですよね」委員長が、窓に額をくっつけている先生に尋ねた。
「そうだよ」先生が額をくっつけたままで答える。僕に直接聞いてくれてもいいのに。
「大丈夫です。前の学校でも、根性だけはあるって言われてたので」食い気味に入る。ここで見せつけずに、いつ見せつけるんだ。
 再びクラスがざわつく。
「前の学校でも根性があったなら大丈夫じゃないか」副委員長が委員長に耳打ちする。ちょっと、距離が近い気がする。
「じゃあ、スクワット委員は、前園君で」
 まばらな拍手。その意味は、翌日すぐに分かった。
「じゃあ、年度初め恒例の、復習テスト、やるぞー」
 陽気な数学教師が、自己紹介もほどほどに、テストを宣言した。みんな「えー」とか「まじかよ」とか言っているが、あくまで礼儀として嫌がっている風を装っているだけだ。背筋の伸びた姿勢は変わらず、全員が、一糸乱れぬ動きで教科書とノートを机にしまい、机の上には筆記用具だけになった。
「スクワット委員、前へ」
 数学教師が言った。僕は何が何だか分からず、後ろの席の委員長に背中をつつかれてようやく立ち上がった。
「先生。前園君は転校生で、ここでのスクワットは初めてなんです」
 委員長が先生に伝えてくれた。さすがだ。
「なるほど。じゃあ、前園、ここにきて」教卓のすぐ右を指さす。「みんなによく見えるようにな。立ち上がる時は、しっかり上に伸びること。後は、前の学校と同じだ」
 何か、勘違いされている気がする。
「じゃあ、試験時間は、五百スクワット。はじめ!」
 みんなが一斉にペンを動かし始めた。
「ほら、前園も!」
 僕は言われるがままにスクワットを始めた。
 五百? 五百って言ったのか?
 膝を曲げて伸ばす。膝を曲げて伸ばす。教室の前で、僕一人、息を荒くしている。まだ十回目だ。膝が既に笑っている。五百回できなかったらどうなるんだ。
 二十回……三十回……。だめだ、視界がぼやけてきた。でも、みんな一生懸命テストを解いている。僕だけそんな甘えは許されない。
 気を失いそうになりながらも、辛くなったタイミングでふと顔を上げると、委員長が僕を見ていた。目が潤んでいるように見える。そんな目で見つめられて、やめられるわけがない。
 三百回を超えたところで先生が突然、「やめ!」と言った。
 その瞬間、クラスが一斉に拍手した。僕もつられて拍手しそうになったが、膝から手を離した途端、倒れそうになった。
「すげえよ、前園!」
「余裕で全問解けた! こんなの、初めてだよ!」
 先生がクラスを制し、歓声は止んだ。しかし、話は終わっていなかった。先生が僕の両肩に手を置き、顔を覗き込んだ。
「前園。お前のようなスローなスクワットは、教師生活二十五年の中で、初めて見た。このクラスは、前園のおかげで、学年一位間違いなしだな」
 再びの拍手。みんなの机に手をつきながら、どうにか席に戻った。その時、耳元でささやく声がした。委員長だ。大人っぽい、吐息交じりの声。
「前園君、すごいね。かっこよかった」
 鳥肌が立った。僕は、転校生として、最高の滑り出しを決めたのかもしれない。
「前園君がいれば、もしかしたら、定期試験、全科目受験できるかもしれない。頑張ってね」
 今度は、背筋を冷たいものが伝うのを感じた。それはいったいどういう意味なのだろう。いや、そんなこと、確かめるまでもないだろう。
 きっと大丈夫。定期試験までに、たくさんの小テストがある。定期テストは小テストの積み重ねだっていうじゃないか。その頃には、僕の体力も根性も、今とは比べ物にならないほど成長しているはずだ。

Photo by Meghan Holmes on Unsplash

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