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時間の流れ

コーヒーミルクが混ざる過程 時間の流れを感じるよ 黒と白がエントロピー 増えて増えて 無秩序な色 まばらな色 抽象絵画のような リズムとビートを刻む まるでYirumaの味 液体は不思議 止まっているようで動いている 時の流れを感じる つくづく いや しみじみ 気づく時間の流動性 それは過ぎ去った過去に見出すよりも アイスコーヒーにミルクを混ぜた時に より深く心に共鳴する 森の静かなカフェ 静寂なカウンター席 何も言ってないのに暗黙の了解がある

    • エンペリカル・スタディーズ

      フィージブルなリサーチ さあ サーベイに出かけよう クエスチョネアは パーフェクト 後はレスポンデンツにディストリビューション サンプルサイズは十分だ さあ アナリシスに入ろう ハイパサシスは何だっけ インプリケーション導いて さあカンファレンスにパーティシペーション サジェスチョンありますか せめてクエスチョンだけでも これがあなたのコントリビューション? これが私のリミテーション ベストペイパーアワードゲットして  ディスカバリング インタレスティ

      • 自分で考えることについて

        自分で考えること。それを今から突き詰めていこうと思う。 自分の言葉で描写できるようになって初めてそれを本当の意味で理解したと言える。まあ、それは今まで生きてきてどこかで触れたことのある考え方だ。 他のだれかが言っていた。それを僕が覚えており確かになと納得していればいい話のような気がする。 しかし、どこの誰だか分からない人間にそういうことを言われてもそれをむやみに信用することはできない。 よく言われるように、誰が言うかが重要だということだ。ショーペンハウアーが言うから俺

        • 俺には俺の深さがある。

          俺には俺の深さがある。 それは自分に向き合うこと。 他人の言葉を読むこと、それは薬物。進んで接種してしまうが中毒性がある。 この中毒性とは何か。 倫理を強要する言葉で溢れている。それはこの道徳社会の中で生き抜くための生存戦略だ。だけどそれを接種するがあまり他人の不満や愚痴、悩みまでもが流れてくる。それは俺の人生にとってなくてもいいもの。 人に向き合いすぎている。人間を気にしすぎている。

          自殺【詩】

          LINEの通知が僕を生かす ツイッターのタイムラインの言葉たちが僕を生かす 水が僕を生かす 図書館の本たちが僕を生かす 祖父からもらった軽のMoveが僕を生かす 彼女が僕を生かす 彼女との電話が僕を生かす 彼女のメンヘラが僕を生かす 病んでいる場合ではない 世話をしなければならない 盆栽が僕を生かす 世話をしなければならない 快適に本を読めるカフェの空間が僕を生かす カフェの若い女性店員さんの明るい対応が僕を生かす 哲学が僕を生かす ピアノが僕を

          自殺【詩】

          朝の自動書記【1月13日~1月17日】

          1月13日 おはよう、昨日のピアノ講座参加してよかった。 昨日は疲れすぎて今日感想を書く。 最初は長久手遠すぎると思ったけど、 行きはめっちゃ混んでて2時間くらいかかったけど、帰りは1時間10分くらいで行けたから、だいぶ変わるね。 ピアノリサイタル的なのとピアノに関する講座が一体のやつは初めて参加したと思う。というか、こういう音楽のイベントに参加したの小学生の時以来ではないか。 生の演奏はやっぱり違う。 何が違ったかな、 鼓膜に響いてくる感じ、 2種類のメー

          朝の自動書記【1月13日~1月17日】

          朝の自動書記【1月9日-1月12日】

          朝起きてすぐ、自由に日記をつけることを僕は「朝の自動書記」と名付けている。今回は2024年の1月9日-1月12日の記録を公開することにする。 2024年1月9日 今日も自動書記続けられた。やったー。なんで難なく続けられたんだろう。 まずは昨日オナニーしなかったおかげで気分が良い。やはり寝る前のあれはやめた方がいいな。 あと、父の声で最近絶対に起こされる。ある意味やばい。家の造り自体ももっと防音性があったらいいのに、めちゃめちゃ声の通る作りになってる。まあしょうがない。あ

          朝の自動書記【1月9日-1月12日】

          前世は餃子

          僕の前世は餃子です。これは間違いないです。 王将の餃子が僕の前世です。これは確信しています。 夢の中で、僕という餃子が、誰かの知らない人の口にゆっくりと運ばれ、そして僕は消えた。 こうしたイメージが僕はいつからか鮮明に脳裏に焼き付いています。僕はあまり変なことは考えない性格だと思っているのですが、この前世は餃子というのはなぜか信じてしまうのです。 なぜここまで僕は前世が餃子であると信じて疑わないのか。分かりません。ですが、人に僕の前世は餃子ですよと言っているうちに、僕

          前世は餃子

          届ける僕と、受け取る僕【詩】

          なぜ僕は書くのか 漠然としている なんとなく書いている でも、何となくの中にはたくさんの理由が蠢いている 経済的、社会的、政治的? 学問的に成功している人、その知人、僕がたまたま尊敬する人たち その多くが書いている 物書きだ なぜ書くのか 僕は彼らの真似をしているだけ 書いていたらなんか頭良くなりそう 書くの上手くなりそう 深く考えられる人間になりそう 自分のことがもっと理解できそう そのうち小説なんか書けそう いろんな期待が湧いてくる でも本

          届ける僕と、受け取る僕【詩】

          今日のうんち【詩】

          めんどい適当もういいや なにこれ出てきたこの嫌 出てくる出てくる無限に書ける 言葉の濁流止められない お前てめー俺の癖か 汚い言葉のオンパレード 残そう残そう今日も残そう リズムで残そう適当に 世の中厳しいことばかり でも詩の中自由なことばかり なんでもできるぜ楽しいぜ 今日も勝利のウンチをしよう

          今日のうんち【詩】

          けつかっちん【詩】

          けつかっちん 今日の俺はけつかっちん もう仕事はこれ以上できないぜ 今日の俺はけつかっちん 1人で夕焼け見に行くのさ 今日の俺はけつかっちん お前ら全員頭かっちん でも俺全然気にしないぜ 俺の幸せ俺自分で作る かっちんかっちんけつかっちん

          けつかっちん【詩】

          書くことについて

          理論ではなく、ぼく個人の経験を語ろう。経験を語るとは何か。それは、この僕が生きている世界で、僕が自分の内奥の声にならない声を言葉にしていくということだ。それをするには、かなり繊細に自分の内側に神経を集中させる必要があるのだろう。僕はまだその感覚を十分に掴めていない。練習中だ。そのためには量をこなすことが何よりも重要だろう。質を気にするよりも、まずは僕自身が言葉を生成することに慣れること。これが重要だ。 今のところ、僕は僕の思考過程の記述がメインになっている。しかし、恭平さん

          書くことについて

          地下室のそのまた地下室にいる僕の手記

          現在は夕方17時36分。バイト終わりにささきの森珈琲に来た。友人のKちゃんに会うためだ。Kちゃんはバイト先で知り合った大学2年生の女の子でスポーツ医学を学んでいる。彼女はいつもバイトでシフトが被ると気さくに声をかけてくれる。この前入れ替わりで小話をした際に、Kちゃんのもう一つのバイト先であるささきの森珈琲に来てほしいと言ってくれたので、今日行くことにしたのだ。店内は広々としており、複数の種類のカウンター席とテーブル席が点々と配置され、すべての席にコンセントがある。Wi-Fiも

          地下室のそのまた地下室にいる僕の手記

          神様は本当のところは存在するのか

          人間には決して知ることができないけど、本当はそうであることが確かに存在するだろうという考え方を「実在論」というそうだ。 たしかに、僕たちにはまだ知らない世界が山ほどありそうなのは容易に想像がつく。でも、それがなんなのかはわからないよね。 まず問い自体が立てられないんじゃないか。いや、どうだろう。例えば、今僕が簡単に思いついたのは「神はほんとうのところは存在するのか」である。僕からすれば、存在しないと答えることになる。でも、日本人には神様がいると信じている人もたくさんいるだ

          神様は本当のところは存在するのか

          第一話 大喧嘩

          「俺が悪かったよ。」 一日たって、僕が一人暮らしをすることをほのめかしたとき、彼はすぐさま態度を一変させた。 いわれた言葉で脳裏に残っている言葉がいくつかある。 彼は不器用だ。どうしようもなく仕方がない。「一方的、お前はすぐに歯向かうなあ。」これは文字通りに受け取ると残酷になる。これは上下関係を前提としたものだ。 「最初からそう言えよ。」これもだ。 つまりお前は俺に歯向かってはいけない。反抗してはいけない。俺の言うことはすべて聞き入れろということ。 親はしばしばそのように子ど

          第一話 大喧嘩

          執筆という大海原をめぐって

          起きるとそこには、大海原が広がっていた。そうだ、これが僕の描きたい絵だ。僕は当然、「大海原」という用語が自分の内側から湧き出てきたことに驚いた。偶然性というものはとてつもなく不思議である。昨日まで、いや、この一年で「大海原」という言葉を僕は一度も使ったことはない。本や雑誌で見たのかもしれないが、それすらも記憶にない。にもかかわらず、今、書き出しの一文目に僕はこの広々とした海という言葉をタイプした。最近、パステル画にハマり、好きなパステル画家の絵に大海原が多く、それに僕が憧れの

          執筆という大海原をめぐって