執筆という大海原をめぐって
起きるとそこには、大海原が広がっていた。そうだ、これが僕の描きたい絵だ。僕は当然、「大海原」という用語が自分の内側から湧き出てきたことに驚いた。偶然性というものはとてつもなく不思議である。昨日まで、いや、この一年で「大海原」という言葉を僕は一度も使ったことはない。本や雑誌で見たのかもしれないが、それすらも記憶にない。にもかかわらず、今、書き出しの一文目に僕はこの広々とした海という言葉をタイプした。最近、パステル画にハマり、好きなパステル画家の絵に大海原が多く、それに僕が憧れの気持ちを抱いていたからなのか。でも、絵を見て僕がそれを「大海原だ」と感じたわけではない。その言葉で彼の絵から「大海原」という要素を切り取ってきたわけではない。しかし、それを無意識に僕は想起していたのかもしれない。今日の一文目に出てきた言葉。僕はこの文章を朝起きて、小便をしてすぐ書いている。頭は澄んだ状態だ。小便にある「水」という性質と大海原の「水」という性質が二つを結びつけたのだろうか。いや、それだけじゃ足りないはずだ。
僕が今考えているのは、なぜ今日の僕は一文目に普段使わないはずの「大海原」という言葉を自然と書いてしまったかである。そんな偶然性に明確な回答などあるはずはないのだが、それでも考えてみたいと思った。それは、僕が毎朝、執筆をするという習慣(僕はこれを朝の自動書記と呼んでいる)があるからだ。朝、何もインプットしていない起きてすぐの時間にだいたい2000文字程度書く。どんどん書いていかないと、すぐ時間が経ってしまうので、えーっと、とか、ということは、とかも素直に書くようにして、とりあえず手を止めないことを意識している。今日はいつもより書けるほうだ。自分でも面白いことを考えているなと思う。こうやって書くことを習慣にすると、何もない自分というフィルターに通り過ぎていく何かを敏感にキャッチしないといけないから意識が研ぎ澄まされている感じがする。そして、それを公開する場があることで少しモチベートされているところもある。でも、僕は自分の文章に対してなるべく自己検閲をしないようにしており、この文章を公開することを前提に作るのはなんか違うとも思っている。僕は書きたいことを素直に書きたい。今日はたまたま、内容的に公開できそうだから結果的に公開するのであって、この文章が他人に評価されたいからとか、いいねがたくさんほしいからとか、そういった他者からの評価は目的ではない。でも、じゃあ公開しなければいいじゃないかというとそういうわけでもない。まあいいや、この話はあまり広げたくない。
大海原の話に戻ろう。僕が生まれてきてから今日まで、「大海原」という用語には何回かであっている。そのうち、今すぐ思い出せる一つは中学生時代によく聞いていたMr.Childrenの何かの曲の歌詞に出てきたという記憶だ。なんの曲かは覚えていない(笑)。でも、桜井さんが「大海原」のフレーズを口ずさんでいる情景が思い浮かぶ。それが今日の朝、何かのきっかけで思い出されたのかもしれない。
考え過ぎだろうか。でも、答えがない以上、可能性を想像するのは自由だろう。こういう風に考えていること自体が楽しいのだ。
僕はこういう考えを、書いていないときには多分しない。書いているから、こういうことができるのだと思う。なぜか。まずゆっくりひとつひとつ文字を書いていくと、そこまでの記録は確実に残るから思考を積み上げていける。もう書いてしまったものは僕の頭の中からなんらかのフィルターにかけられたとはいえ確実に出てきたものだ。それを一文一文書いていく。でも書いていないときは思考が分散してしまう。Aのことを考えていたのに、次の瞬間にはBのことを考えている。思考は無限だ。でも、執筆は有限だ。前に書いてしまったことはもう消せない(本当は消せるが)。でも次の文章は、それより前までの文章に規定されて展開していくことになる。文脈の中に置かれる。だから、最初の数行を書くと、だいたいの文脈が決まってくるから、無限の思考の可能性の中から、ある方向性が見えてくる。それが見えてくると、あとはその方向へと進んでいけばいいだけだから、手はある程度動く。タイピングは進む。書ける。でも、ある程度その方向に進んでいると、分かれ道が来る。そしたらまた進む方向を考える。でも僕は今流れるように書いているので、車でいえば50キロで走ってしまっている。だからブレーキを踏んで安全に曲がることはできるけれど、この流れを止めてしまいたくもないからハンドルを瞬時に回すことで対応したい時もある。一般道では危なくて到底できるものではないけど、僕が今執筆しているのは、僕一人だけだ。誰も見ていない。自由に車を走らせることができる。自分だけのコースが整備された、いや、コースではないか。冒険だ。まだない道を切り開いていく営みだ。これはとても楽しいことだ。自由だけど自由ではない。どういうことか。(どちらへ進むのかは)自由だけど(書いているという意味で、つまり以前までの文脈に制約されるという意味で)自由ではない。
なんか結論っぽいものが偶然出たのでこれで終わることにする。
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