発達障害だとしたら
実家に帰ってきました。
療養のためです。
そこで母親と私の子ども時代の話になりました。
頭は悪くないのに、
変な子どもだったそうです。
*
「洗濯物を干して、下着だけ外に干さないで。」
と言われて
下着をすごく目立つところに干す。
ということをしたことがあるそうです。
普通に考えたら嫌がらせかと思うのですが、
母親は嫌がらせではなかった、と断言します。
嫌がらせではないとすると。
下着に何か注意しなければならない、
という意識のみ残って
間違えてしまったのかな、と思います。
*
他にもアルファベットの小文字
"b"と"d"
中学校最後の英語のテストで
死ぬほど間違えました。
アルファベットは幼稚園に上がる前から
書けるように母親が教えていたそうです。
ちなみに今も
どちらがBかDか
よくわからなくなります。
小文字の"p"と"q"もダメですね。
"E"と"ヨ"はだいぶ克服しました。
*
これだけに限らず、細かい普通じゃないことが
日常にいっぱいあり、その都度母親は叱ってくれていたようなのですが、昨日私との昔話に最中に
「あなたが普通だと思って叱っていた。
けれど、誰かが普通じゃないって、
"あなたはちょっと変わった子だよ"って
言われたら納得したと思う。」
と言われました。
ちょっと変わった、というのは
多分なんらかの発達障害のスペクトラムのことを
指しているのだと思います。
保育士の母は園でたくさんの色々な子どもを観てきているため、障害に理解がないわけではありません。対処もそれなりに知っているのでしょう。
ただ、私が大体のことは頑張ればできてしまう子だったので、多分なにか障害があっても軽度でしょうし、知的遅れはほとんどないというところで子どもの頃は気づかなかったのでしょう。
それが思い出になり、振り返った時に
もしかしたら、と母親は思ったそうです。
*
じゃあ、こうして精神疾患にかかった今。
もし、病気の根底に発達障害が隠れているのだとしたら、それは詳らかにできるのだろうか?
もし明らかにしたとして、
メリットはあるのだろうか?
子どもの頃ならそれなりの対応をして、と考えられるのですが、もう大人になった今。その対応が必要なレベルかと言われると、私は多分軽度、必要はないでしょう。
障害は本人が"生きづらい"と感じた場合に障害であるとする、ということを聞いたことがあります。
私は今そのスペクトラムだとしても、おそらくそれでは困っていません。
なので、もしそうだとしてもスペクトラムと断定することにさほどメリットはないでしょう。
ただもし、精神疾患の原因だとしたら、病気が寛解した後にぶり返すトリガーになるのは困るな。
発達障害だとしたら。
だとしたら。
もちろん、違う可能性もあるわけですし
精神疾患のケアをして補助をもらってる今、
さほどそこは重要ではないのかな。
もしかしたら、
子どもの頃に気がついて対応をしていれば、
精神疾患にはかからなかったかもしれない…
でもそれは、"もしも"の話で。
この後の未来、私には何の益もない話です。
発達障害だとしたら、私はどうしたいのだろう?
そして結論は
発達障害だとしても。
私はしばらくはいいかな、
と思いました。
もう少し精神疾患の方が治った後に
困っていたり、
やりたいことの障害になったり、
そうしたら考えよう。
まずは目の前の病気の方が先です。
それくらい軽いスペクトラムなので、
一生向き合わない可能性もありますが。
私はそれでいいかな、と思いました。
発達障害だとしたら。
発達障害だとしても。
どちらでもどう生きるかは
自分で舵を取っていきたいと思います。
ここまで読んでくださり、
ありがとうございました。
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