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【生きること】ちっぽけだから、さ。かえるちゃんが教えてくれたこと。

かえるちゃんのけけとかか。

千葉の田舎道。脇に田んぼが広がっていて、さっと車のハンドルを切りたくなって、切った。車を停めて、草の上に立つと、いたいた、かえるちゃん。ちいさなあまがえる。まだおたまじゃくしからやっと‘大人’になったのか、小指の爪ほどしかない。

飼う?妻がそんなことを言った。そんなつもりで車を停めた訳ではなかったが、かえる好きの私。小さい頃にあまがえるを6匹飼っていたことがある。雨が降りそうになると鳴くんだ。そんな話をして、2匹連れて帰ることにした。ただ、夏が終わる頃にはまたこの場所に帰してあげるお約束。

けけとかかと名付けた彼らとの暮らしが始まった。

虫かごの中で、彼らはいつも近くにいる。心細いのか。かえるにも「友達」なんてものがあるのかななんて考える。なんとも可愛い。

餌は小さなあり。玄関の前の植木にかがみ込み、夜な夜なありをつかまえる。近所の人は何事かと思ったことだろう。大人の男が瓶を持って土をじっと見ているのだから。ありを虫かごに入れると、けけとかかはきょろっと見つけ、ちょん、と近づいて、ぱっと食べる。あ、食べた。よかったよかった。そんなことを思いながら、ずっと虫かごを眺めていられる心地だった。

次第に2匹の間に個体差が目立ってきたのは、3日も経たないうちだった。餌をよく食べるけけに対して、かかは少食で、痩せてきていた。背中の骨を見ていると心配になる。ちゃんとありを食べるんだぞ。ほら、目の前にきた。食べろ。祈りながら見る。数匹食べて、胸を撫で下ろす日が続いた。

かかは2週間ほど前に死んでしまった。知っていたようで、突然の死。餌が少なかったのか、環境が良くなかったのか。伸ばした足は、もう動かない。虫かごから出ようとする、おてんばな姿はもうしっかりと過去になっていた。ありをとっていた玄関前の植木の土にうめた。ごめんね。その言葉を小さい友達にかけた。久しぶりの生き物との別れは、大人になった少年にもやはり辛いものであった。

だからけけも逃してあげようと決めていた。今日、その元いたあの田んぼまで行って、また自然の中にはねていく姿を見届けようと思っていた。けけ、きみは生きろ。かかの分まで。そんな言葉をかけて見送ろう。きっと寂しいんだろうな。そんな妄想をしていた。

でも昨日の夜、けけも土の上にのびていた。

土の上にうつ伏せている小さな体。まぶたがないから、目は開いている。でもその喉元の息遣いは消えていて、虫かごは静かだった。捕まえたダンゴムシが茎に上で体を動かしている。

けけにもかかにも来なかった今日。その今日は私のもとには来て、今終わろうとしている。初めは仲良さそうにいつも隣にいたけけとかかは、今はじっと土の中にいる。いや、本当はいないのかもしれない。けけとかかには今日は来なかったのだから。あるいは今日が来ていたのだろうか。彼らは一体どこへ行ってしまったのか。考えても答えはなく、ただ一切がすーっと流れ続けていて、けけとかかだけが止まっているように見えた。哲学者のレヴィナスが言った他者とは、今のこの感覚を擬人化したものだったのかもしれない。

否応なく終わろうとする今日に、来ようとしている明日に私は一喜一憂する。けけとかかには来ない明日に、後ろめたさと恐怖と、少しの安心と、やっぱり不安を感じながら、おやすみなさい。生きていることなんてちっぽけで、単純なんだよ。そう感じる時、僕は胸を撫で下ろす。ちっぽけな中で、かえるはありを食べ、人は不安に潰されそうになる。なあんだ、ちっぽけでよかった。そして明日にまっさらな血が通い始める。ちっぽけなんだからいいじゃない。また歩こう。けけとかかは精一杯生きて、そんなことを伝えてくれた。

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