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【小説】KIZUNAWA④        繋げ俺たちの絆輪

 翌日の告別式は駅伝部とサッカー部、同級生は公休扱いで出席が許された。昌福寺住職の読経後、鎌田先輩の若い死に対して説教が述べられた。川島は今日も立っていられなかった。
 進行役の方が低くて静かな声でゆっくりと語り掛けた。
「最後のお別れです。どうか故人に持って行って頂きたい物がありましたら棺にお納め下さい。特にお手持ちのない方は、お配りいたしました生花を故人にお納め下さい」
航平の思い出の品が次々と棺に納められて最後に航平の母親が泣きながら上田北高等学校と刺繡の入った襷を航平の胸に掛け様とした時だった。
 
「あの! おばさん」
それは蚊の鳴く様な声だった。航平の母親が声のするほうに目をやると同時に、葬列に並んだ人々の視線が一斉に声の主に注がれた。
「その襷、もう少しの間私たちがお預かりしてはいけませんか?」
声の主は茉梨子だった。涙が今にも落ちそうだが必死で懇願する姿は、その場に似合わず力強く見えた。
「でもこの襷は息子が天国へ持って行きたい一番の宝です」
航平の母親は襷を握り締めていた。
「そうではないのです」
茉梨子は一枚のメモ用紙を差し出した。
「これは?」
航平の父親が茉梨子に聞いた。
「先輩の最後の言葉だそうです」
「最後の言葉?」
「はい」
茉梨子は小さく頷いた。それはあの日、航平を看取った伊藤医師が病院の廊下で茉梨子に渡したメモであった。茉梨子はその言葉を知るのが怖くて開く事が出来ずにいたのである。しかし、太陽が送った小学生時代の達也の話を読んだ時、その勇気が生まれたのだ。
そのメモを手にした航平の両親は堪え切れずによろけながら抱き合って「あの子は、駅伝をこんなにも愛していたのか」と優しく呟いていた。
「私たちにやらせて頂けませんか?」
茉梨子は力強く告げた。
「しかし」
不安に満ちた言葉が航平の父親から吐き出された。
「はい! メンバーが足りません。でも、でもまだ時間はあります」
茉梨子は諦めなかった。
「広江! 俺たちには意味が分からないよ、説明してくれ」
豊が茉梨子に駆け寄った。茉梨子は航平の両親から戻されたメモを豊に渡して言った。
「航平先輩が意識を失う寸前に呟いた言葉」
茉梨子の声は寂しそうに聞こえた。
「これが先輩の最後の願い」
メモを持って呟いた豊を駅伝部のメンバーが取り囲んでいた。
葬列の中からは彼らの行為に対する批判の声もひそひそと聞こえていた。「最近の子は自分たちの事しか考えないのかね」
批判の声は次第に多くなって行った。それらの声は宮島にも聞こえていたが彼は教師として彼らの行為を止める事はしなかった。仕事を終え退場し様とした住職が立ち止まり戻って来ると会場の参列者に向かって突然読経を唱え始まった。航平の告別式は、普通のそれと全く違った進行になっていた。
「お願いします」
茉梨子は必死だった。
「何度も失敗して、長野県代表になれなくて、皆がもう駄目だと思っても、先輩がこの襷は俺たちの絆だから、一人でも諦めたら繋がらない。絶対に諦めるな! と言ってくれて、私たちここまで走って来る事が出来たんです」
茉梨子は力ずくでもそれを奪い取る勢いだった。
「お願いします」
駅伝部全員が一斉に頭を下げた。彼らの目に涙はなかった。
後に新キャプテンに就任する雅人が握り締めていたくしゃくしゃのメモ用紙には、こう書いてあった。
 
「繋げ! 俺たちの絆輪(きずなわ)」
 
豊が先輩の願いと言った意味がそこに綴られていたのである。
「お願いします」
全員がもう一度深々と頭を下げた時、航平の父親が震える手で襷を茉梨子に渡しながら呟いた。
「お願いします。私たちも京都のゴールで待っていますからね」
その声も震えていた。住職の読経は続いている。
 
太陽はスマホを開いてみた。既読の連続が目に飛び込んで来た。そして最後に一行(ありがとう)と返信があった。葬列の中の批判が少なくなって沈黙の空気が流れ始めた時、読経は静かに終わりを告げた。
 
澄み切った空に灰色の煙が立ち昇っている。七人の若者は横一列に並んでそれを見ていた。
「先輩は天国へ昇っていくのかな?」
誰からともなく呟いた。
「まだ、まだここにいるわよ」
茉梨子は襷を裏返して皆に見せた。そこには駅伝部全員の名前が綴られていた。この春、雅弘が離脱した時に航平がこれ以上誰一人でも欠けない様に皆で名前を書こうと言って書いたものだった。一番上に鎌田航平としっかりした文字で記されていた。
「京都のゴールまではここにいる。一緒に走っていてくれる。私はそう信じる」
茉梨子の言葉に全員が頷いていた。
「明日からが大変だ! もう一人、ランナーを募集しないとな」
雅人が言った。
「でも絶対に行く! 京都へ」
茉梨子力強く言った。
彼らの姿を太陽は少し離れたところから見ていた。茉梨子のために、自分に出来る事はないか? それを考えていた。そして太陽はある決心を固めたのであった。
                              つづく

どん底から這い上がった茉梨子と部員達、7番目のランナーを求めて奔走するが……
北高駅伝部の明日はどうなる。


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