医師のペンウィー。

「これ、あげるよ」
 ピンク色のワンピースを着ている少女はそう言って、少年の目の前に飴玉を突き出した。
「ありがと……」枯れている声の少年は不器用な笑みを少女に向けて、眼前の赤い球体に二本指を伸ばした。しかし、少年のシミのような斑点が多い指が飴玉に触れるその瞬間、少女は飴玉をひょいと引っ込め、そのまま自分の口の中に入れ、少年に見せつけるように、とてもわざとらしく、ごりごりぼりぼりと音を立てて豪快に噛み砕き、ごくんと飲み込んでしまった。
「んへへ、嘘だよ」
 少女の目には嘲笑があった。

「あの、先ほどから、右のテキストの文字が虫に見えてしまうのです」バイクにまたがるように診察室の丸椅子に座る女は、悲鳴混じりだった。「一瞬なのですが、蟻のようなモノに見えてしまうのです」まるで黒板を爪でひっかいたような声は、それまで関わってきた人間の全員を不快感の海に突き落としていた。
 医師のペンウィーは女の喉元を見ていた。正確には喉の奥にある筋肉の赤々しい素晴らしさを妄想し、自身の男としての象徴をけたたましく立ち上がらせていた。
「先生! どうすればいいですかあ……」
 両肩を力強く握りしめられ、そのまま涙や鼻水でぐしゃぐしゃになった顔を見せつけられているペンウィー。詰め寄られても大した打開策が思いつかず、女の美形を台無しにしている分泌液の美しさに心を動かされた。ペンウィーは適当に難しそうなことを考えていそうな、シワの多い顔を二秒ほど女に向けてから両肩の手をゆっくりとどける。そしてまずは顔面にあふれている涙や鼻水を舌で冷静に、そして綺麗に舐め取ると、耳元で「安心して。僕の舌はハンカチのようなものだから」とささやき、デスクの引き出しを開けた。
 大量の錠剤やチューブ型の塗薬が収納されている引き出しの中に目を落としたペンウィーの視界は、すでに近未来的黄緑に覆われていた。文字は赤く発光し、万年筆がロケットのように飛んでいく妄想が常に頭の片隅で開催される。かろうじて女の美しさと、そんな女をどうにかして助けたいという思いだけはあったので、ペンウィーは小刻みに震える二本指で一つの錠剤を取り出した。
「ああ、それならこれを使うと良いさ」ペンウィーは、女が苦しめられているよくわからない症状なんて、医学の中では大したことが無いとでも言いたげな声色で、すでに何色かもわからない錠剤を女の眼前に差し出した。すっかり泣き止んでいる女はそれを見て湾曲した笑みを浮かべたが、ペンウィーの現在の疲労感と、それによって発症している幻覚作用によって笑みの美しさを認識することができなくなっていた。
「先生、これで治るんですね!」
 ペンウィーは笑みを浮かべた。「はい!」しかし次の瞬間、女が楽しそうに錠剤をつかみ取ろうとした時、ペンウィーは自分でもわからず錠剤をひょいと自分の胸元に戻し、そのまま自分の口の中に入れてしまった。「ああ、薬品を食べる喜び……」ペンウィーの瞳はその瞬間、飴色の欠片を含みだした。どこまでも硬質な錠剤を柔らかく温かい舌で舐め回し、丁寧に溶かしていく。唾液と混ざり合うことで苦味が増した元錠剤の液体を飲み込むと、まるで棘のように喉を刺激していく。たまらなくなって喉を両手で押さえるが、それでも喉の中で暴れまわる痛みは止まらない。必死に喉に絡ませた指の力を強めるペンウィーだったが、それによって体内に循環する血液が悲鳴を上げていることには気づかなかった。
「ああ、女の方……」ペンウィーは血眼になって女を見つめる。「もう、お帰りになってください。アンタの唾液や涙や、そして鼻水はとても美味しかった」そして自身の舌を女に見せつけ、まだ舌の上に舐めとった女の分泌液が残っていることを示す。
「ほら、僕はこれから、この液体を白飯に掛けて召し上がるとするからさ」

「上だ……ああ、上田さん、私はついに新しい体のモデルを手に入れましたよ。新しいモデルは肉感がとても良くてですね……」女は病院の玄関の、ガラス張りの両開き扉に話しかける。禿げ頭のペンウィーは医師免許を持っていない。それは誰もが知る常識のようなもので、ペンウィーの住まう町では、朝刊が朝には届かないことよりも知れ渡っていた。この事実にペンウィー自身は、まるで一人で焼肉を食べている時のような、晴れやかで豪快な態度を示し、通常通りの医師業務を続けていた。
「脳無しの悪魔が……」病院の所長はいつでも悪態をつく。

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