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謝罪力も時には武器になる

こんばんは。りょうへいです。

今日は謝罪についての考察を書いていきたいと思います。

謝罪とは難しいもので、使いようによっては、謝罪する相手に必要のないマウントを取られてしまったり、自分が負けたという意思表示と取られてしまったり、時には、「しない方が良い」ようなことも多々あるものです。

そんな使いこなしに技術を求められる謝罪ですが、うまく使いこなせている人は、「器の違いを見せつけるチャンス」にしているように感じます。

例えば、どちらが悪いかは正直分からないようなケースの時。

一人は絶対に自分だけが悪い訳ではないと思っているので、全く謝る気がありません。
しかしもう一人は、捉え方が逆で、自分にも非が少しでもあると感じているので、謝罪をします。

すると、謝らなかった方が、今度は自分にも非があった点に着目をして、謝り始めます。
こうして二人の対立は終息しました。

この場合、あなたならどちらが器の大きい人だと感じますか?
私は先に謝って、事態を収束に向かわせた人の方が器が広いと感じます。

感じ方は人それぞれですが、同じように感じる方は多いのではないでしょうか。
このように、謝罪とは悪いものである側面を持つと同時に、良いコミニュケーションツールとしても使えるのです。

謝ることが悪として、自分が悪くなければ絶対に謝らない(謝る必要がない)と決めている人もいるようですが、私はこれは勿体無いと思っていて、状況によって使い分けをした方が得をすると考えています。

何でもかんでも全て謝っていたら、それはそれで真実味を無くしてしまうので、いかがなものかとは思いますが。

ちなみに、状況に応じて使い分けができる人は、客観的に自分を見ることが出来る人です。
なぜなら、自分にも非がある点を冷静に見つめられる人でないと、謝るという発想に至らないからです。

それから、謝罪をすることは、謝罪をされること以上に勇気がいることです。
自分の気持ちを相手に率直に開示できることは決して簡単なことではありません。

だからこそ、素直に謝ることが出来る人には、人間的な魅力を感じます。

謝ることでプライドが傷つけられるという考え方に囚われず、自分が少しでも非があった場合、謝らないことで自分のプライドに傷がつくという考え方も、発想の転換として持ってみましょう。

きっと人間関係が結構平和になると思います。

私も、謝らなければいけない時に謝ることが出来なかったり、コミニュケーションの際に失敗してしまうことがよくありますが、状況を俯瞰して眺められることで、謝罪力を武器に出来る人間になりたいと思っています。

謝罪も時には武器になる。

簡単なことではありませんが、忘れずにいたいものですね。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました!

頂いたサポート代を全てうまい棒に変換し、1年後にnoteで写真公開することを目論んでいます。