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教師は教育の専門家という誇りは必要

教師は教育の専門家
 

教師という仕事について10年以上たちます。

教育に関しては多くの人がいろんな意見を持っています。

教育というのは全ての人に関係あることで、ほぼ全ての人が体験してきていることなので多くの人が教育に対して何らかの思いや考えを持っていたりします。

 そのこと事態は悪いことではないし、むしろ大切なことだと思います。

 教師のやることに任せておけばいいとか、教師が絶対に正しいとも思ってほしいとは思っていません。

 ただ根拠なく何となく批判したり、教師全体を悪く言ったり、体験からこうすればいいのにと言うことに少しだけ違和感があります。

 ただその批判に対して教師が専門家としてきっちりと理論立てて反論できるかということにも疑問が残ります。

 教育の専門家として教育の研究を重ねているか。

 たとえば、米農家の方に米は無農薬のほうがいいと聞いたんですがなぜ農薬を使ってるんですか?とか、有機栽培がいいと聞いたんですが、なぜやらないんですか?と聞かれたとしたらきちんと理由を説明できると思います。

 そもそも米農家さんが栽培している田んぼに行って、お米のもっと美味しい作り方があるんですが、ここのお米はあまり美味しくないのでアドバイスしてもいいですか?とか言いません。

 苺農家さんのハウスに行って、苺は糖度が高いほうが美味しいらしいですよ、糖度が高い品種になぜしないんですか?とかも言いません。

 料理屋さんに行って、美味しくなかった時に厨房に行ってアドバイスはしません。

 なぜなら米は美味しくなければ違うところで買えばいいし、苺も違うところで買えばいい、料理屋さんも違う店に行けばいいからです。

 そうやって評価されていくから研究し、より美味しいものを作ろうとしているんだと思います。

 教師は反省しているか?

 自分の活動を評価してもらっているでしょうか、反省して改善し続けているでしょうか?

 僕は学校や教師が研究し続け、教育の専門家として誇りを持っていれば、きっと周りは正しく評価してくれると思っています。

 教育の正解を教師が正解を持っているとはいいません。

 それはどの職業の人も同じで、正解なんてないからこそ自分の作ったものをより良くしようと努力するんだと思います。

 学校は、子どもが自分で育つ場所です。

 土が悪ければ、育ちません。

 教師はいかにいい土を作るか、どうすればいい土を作れるか日々、研究し続ける専門家でないといけないと思っています。

 教育の選択肢が増えて来ています。

 教師が専門家として誇りを持たず、研究せず自己研鑽しないとどんどん選ばれなくなっていきます。

 いつの間にか公立学校は批判すらされなくなるかもしれません。

 競争して、人が入ってこない学校は閉鎖すべきだなんて思っていません。

 そういう話をしたいのではありません。

教師は教育の専門家として誇りを持ち、学ぶことを楽しみ続け、土をよりよいものにしていく努力を続けていかなくてはならないとあらためて感じました。

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