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「愛することで自分が救われる」とは【#言語化れんしゅう 番外編】

「愛することで自分が救われる」感覚、わかりますか?

相手から愛されることで救われるのではなく、自分が相手を愛することで“自分”が救われる。わたしの場合、家族と一緒に過ごす時や良き対話ができた時にそれを感じることがあります。相手を大切に想うこと、何かあたたかいものを贈ること、誠実に聴くということ。それらを通して、相手が健やかになり、自分らしさを発揮できたり、やさしい気分になる。結果的に、それがわたしを救っている。この実感。みなさんの場合はどうなのでしょうか?

誰かに愛されるのではなく、誰かを愛することで自分が救われている。
この実感がわかる人いますか?

以下、届いたみなさんの「愛することで自分が救われる」をご紹介します。

みなさんのお答え

【1】

いつもいつも感じてるわけではないですけれど。言語化が難しいのですが。「愛する」とは「ゆるし」でもあると思うです。他者を愛することによって、その地続きとして、自己を適切に愛し、自己をゆるすという感じになるかなと思います。その結果、「救われる」という感じる状態になる。

愛することで、自分がゆるされる。そこですよね。その感覚ですよね。その他者へ注ぐ愛が、過去の自分をも救っていたりする(罪悪感ではなく)。結果的に今の自分が救われる。

【2】

恋愛における「愛」とは違いますが、息子たちのおかげで頑張れる(結果、救われている)というのは実感することがしばしばあります。息子たちのために頑張ってるわけじゃないんだけど。

愛する子どもの存在のおかげでがんばれる。子どものためにがんばっているのでなく。よくわかります。その副産物的なエネルギーが循環させるものをもっとよく理解したい。

【3】

何かから救われたいと思ってないからアレですが、愛することで「じわ〜っ」とか「ふにゃ〜」とか癒されて、選択してよかった…♡ってなることはあります。もちろん相手は異性に限らず、なんなら生き物に限らず。

「じわ~っ」「ふにゃ~」と癒される。その状態は愛することで訪れるんですね。

【4】

自分の人生を生きることが人間の幸福とするなら、愛したいと思える相手がいて、そうすることを選べているなら、すなわち、愛すること自体が幸福であり、つまり、誰かを愛することができていることに感謝する。

愛したいと思える相手がいて、それができている。自分の人生を存分に生きることができていることに救われる。

【5】

愛は人に注ぐものだと考えています。そこに見返りを求めず、注いだ方がまたその先にいる誰かに注ぐ、私が大切に思う人たちが安寧な暮らしを送れていること、私が知らない人と信頼関係を持てていることに救われています。

大切に想う人たちが安寧な暮らしを送れていること、私が知らない人と信頼関係が持てていること。それは愛を注いだ結果として。愛する者の平穏が、私を救う。

【6】

愛されるよりも、愛することで、誰かの拠り所になるのが、自分の弱気もさらに強みなる。

誰かの拠り所になると、弱きも強みになる。

【7】

妻や子を笑顔にしようとして、それが歯を食いしばってがんばらずとも自然体でできていて、それを受け取ってもらって笑顔になってくれた時 自分はこの人たちと一緒に居ていいんだ、自然体のままでもいいんだと思って、孤独の恐怖や努力せねばならないという強迫観念から救われる。

快く受け取ってもらえた時に救われる。ある意味、すべてを承認されたような感覚ですね。

【8】

誰かを愛するという能動的な貢献は、自分が「今」生きていることをまさに味わえる。 だからこそ、過去のすべてから解放され、救われる感覚なんだろうな。

「愛する」という能動的な貢献が、自分の人生を生きている、その感覚を瑞々しく味わえる。それは過去のすべてから解放されること。

【9】

無償の愛ほどのものではなくても、「愛した」という身勝手な満足感。時間が経ってその感情を思い出す度に幸せな気持ちに包まれ、それをお守りにして心が救われています。

愛した感情が記憶に残る。そのお守りが自分を救っている。

【10】

「愛される」に期待や依存を抱いているうちはこの感覚は生まれないかもしれません。誰かを愛することで自分の中から溢れ出る感謝や尊敬や慈愛の感情が自らを高みへと導く。その尊さを以て自らが救われているのだと私は知りました。

愛することで溢れ出る感謝や敬意。それらに救われる。ここがピンとこない人が多そうですよね。

【11】

ねこ。愛してるときも、愛を返されてペロペロされてるときも幸せ。ねこを愛してるときの私が一番好き。

愛している時の自分が好き。愛することで救われる。

【12】

少しズレるかもしれないけど、相手が、私が愛していることを分かってくれていて、それが「ありがたい」と伝えてもらった時、私は「私のやり方でいいんだな、私のままでいいんだな」と思えて救われました。そして逆に、私の愛し方を「全然足りないし間違っている」と言われた時は、私自身の存在を否定されたような気持ちになりました。

受け止め、受け入れ、承認と感謝が生まれ、救われる。

【13】

わかる。 誰からも好かれないことよりも、誰も好きになれないことの方が惨めな気がしてる。

好かれないことより、好きになれないことの方が惨めになる。おぉ、これはまた考えさせられるお答えをありがとうございます。そういう意味では、愛することができれば自分を救済できる。

【14】

今思い返してみてふと、独善的な在り方(愛する)だけど誰かしらの役に立てると救われるかな。 自分への許しや受容のようなもの。このやり方で、よかったのだとようやく安心して救われる。

「愛すること」によって誰かの役に立てることが、自分へのゆるしであり、受容となる。結果的に自分が自分を救うことになる。

全てではないですが、このようなコメントが届きました。

ことばには、人それぞれにイメージがあり、定義がある。それらを読ませていただいていると、わたしの中でも「愛することで自分が救われる」のイメージがすくすく育っていきました。

#言語化れんしゅう

これからも皆さんのお知恵をお借りしながら試していきたいと思います。Xのスペースでは、みなさんからいただいたことばを感想を述べながら紹介させていただいております。ぜひ、お気軽にご参加ください。




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