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「なぜ、毎年同じ数の不登校児童が発生するのか」ー「社会学とは何か」に対する中間的回答

 平成30年度版の不登校児童生徒数の推移を見てみると、直近2年では増加傾向が認められるものの、H10~H28年の18年間にかけては毎年小中合わせて約14万人の児童生徒が不登校とカテゴライズされていることが見て取れる。 

 また教育業界において不登校問題の実態を捉えるには「生物-心理-社会モデル」という三つの要素を組み合わせたモデルが引用され、多角的に実態把握が試みられる。様々な観点から問題解決に向けてアプローチを試みることは単独の観点からのアプローチを試みることよりは一般的に評価されやすい傾向があると思われる。そして不登校問題に関しても生物、心理、社会の三観点からアプローチをすればあらかたの問題を説明できるように感じる。

 しかし、不登校児童生徒数の推移と「生物-心理-社会モデル」を合わせて考えたときに、「生物-心理-社会モデル」で不登校を捉えようと考えたときに不登校児童生徒数の推移を説明し切れないのではないか。小中学校には合計で930万人の児童生徒が在籍しており、一人一人の生物学的特徴も、心理学的な特徴も多様である。不登校の要因が実際に生物学的、心理学的な要因に、つまり児童生徒個人に還元されるのであれば、不登校児童生徒数の推移は毎年異なってしかるべきなのではないだろうか。では一体なぜ毎年同じ数の児童生徒が不登校とみなされるのはなぜだろうか。

 そこには18年間もの間変わらずに児童生徒に影響を与え続けた「何か不変のもの」が見出される。それこそが社会なのではないだろうか。「人間は社会的動物である」というアリストテレスの言葉がある。この発言は直接的に、言葉通りに捉えても現状に当てはまるだろう。現代社会に暮らす私たちは学校社会や企業社会、家庭社会など様々な社会に属することで初めてその存在を他者から認められるような状況に暮らしている。極端な言葉を使えば個人が先んじて社会があるのではなく、社会があってこそ個人が存在するのである。

 このような事実に目を向けながら、生物学的、心理学的に不登校の原因とされていることを見ると全て社会的な要因に還元して説明することができる。なぜ「不登校」の児童生徒には生物的に睡眠、栄養に問題が生じるのだろうか。それは保護者の収入状況を悪化させるような現代を取り巻く雇用環境が原因である。なぜ「不登校」の児童生徒が成績が下がったりしていないかどうかや、自己肯定感の低下していないかどうかに心理学的に目を向けなければいけないのだろうか。それは学歴によって人生が決まる学歴至上主義や、学習やコミュニケーションなど全ての物事を「能力」として序列化しようとする能力至上主義的な思考が蔓延る社会に我々が属しているからである。こうした社会に蔓延る「当たり前」の一つ一つがそのままストレスの一つ一つとなって児童生徒を「不登校」へと仕向けるのである。

 このように考えたとき「不登校」という用語自体にも疑問が提示される。「不登校」という言葉は「登校”できず(不)”」と書き下せるように、登校を自主的に拒むような児童生徒像が前提となっている。しかし実態は児童生徒らを「登校”させない”」ように仕向ける社会がそこにはあるのである。18年間私たちが暮らす社会は全くと言って良いほど変わっていない。そしてこのような社会状況に対応するかのように「不登校」の児童生徒は社会によって毎年同じ人数が量産されるのである。

補論

このように考えたときに一種のニヒリズムに到達する。「不登校」の原因に社会があるのはわかった。しかし私たち一人一人は社会をどうにかできるのであろうか。社会的な要因は教員個人、ひいては「チーム学校」を持ってしても解決が困難なほど大きすぎる問題である。

 しかし私はニヒリズムに陥るべきだと主張しない。先述した社会の存在の大きさを実感しつつ、教職員は「不登校」と向き合うべきである。具体的には発覚初期段階において生物学的・心理学的アプローチを用いて面談を行い、多角的に状況把握を用いて原因を特定する。その上でその原因に対する「治療」を個人に対してではなく、環境を整えるなど社会に対して行うべきではないだろうか。このような考えは「生物-心理-社会モデル」のベン図のような平面上ではなく、ピラミッドのように段階ごとに使用するアプローチを切り替えるような新しいアプローチである。

 このような新しいアプローチを身につけ、教育業界の内部から児童生徒を取り巻く環境や社会を少しずつ改善しようと努力することは、社会全体に対して現状の社会に対する問題提起を起こすことにつながる。こうした取り組みにおいては実際に何かが変わらなくても良いのである。大体の場合はうまくいかないであろう。しかしこうした問題提起は問題解決に向けた社会全体の巨大なムーブメントの最初のきっかけを確実に与えるものである。そして社会を「撹乱」するような社会に対する問いかけを教職員、SC、SSWなど教育関係者たちが不断に繰り返すことが「不登校」とラベリングされ悩み苦しむ児童生徒たちの救いに繋がると私は考える。そしてこの新しい社会的アプローチを身につけることはニヒリズムに陥るはずであった教職員、SC、SSWなど教育関係者らの救いにも繋がるのである。

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