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君が幸せになっても誰も困らないからさっさと幸せになってください

ありふれた毎日の中で、幸せだと感じる瞬間は、どれくらいあるだろうか。

1日の半分以上を幸せだと感じる人もいれば、まったく幸せを感じない人もいる。でも、誰もが幸せを願いながら毎日を生きていて、幸せを手に入れるために、ああでもない、こうでもないとか言いながら過ごしている。

そして、世の中には、幸せの定義がわからない人と理解している人もいて、そのちがいは一体どこにあるのだろうか。

ちなみに僕は幸せの定義はわからないけれど、毎日幸せに生きているほうだと思う。朝起きて、目がさめるだけで、今日もちゃんと目覚めれてよかったという気持ちになるし、今日はどんな日にしようかと考えているだけで、幸せを感じる。

そういえば先日、知り合いに「最近あった幸せなことを教えてください」と質問をしたところ、「なにもない」と返ってきた。そんなわけないだろうと思って、質問の角度を変えてみる。

再び友人に、「この1週間なにをしていましたか?」と聞いてみた。

すると、「休みを取っていたので、京都に1人で遊びに行ったり、カフェ巡りをした。カフェで食べたパンはとても美味しくて、今日のお昼ご飯用に2個購入した」と返ってきた。

いや、いいことだらけじゃねえか。休みを1日満喫できている時点でもう勝ち確だし、食べたパンが美味しかったことも全部いいことだろ。でも、友人はこの一連の出来事をいいことだと感じられなかった。

人によって幸せのハードルは変わるものだと理解しているが、やはりそれは低いほうが幸せな人生を送れる可能性が高いと思ってしまった。しかもハードルを上げてしまっているのは自分自身で、それすらも気づくことができない。

幸せのハードルが高すぎる人は、幸せの定義が曖昧で、なにが幸せかどうかがわからない。そして、高すぎる幸せのハードルを追いかけ続ける。高いハードルを無事に飛び越えられたら、幸せを感じられるのかもしれないけれど、そうなってしまうと、幸せな時間は限りなく少なくなってしまう。

周りの幸せの基準なんて、はっきり言ってどうでもいいし、自分の幸せは自分で決めてしまえばいい。たまに他人の幸せを妬む人もいるけれど、他人に妬まれるぐらい幸せになっていることに胸を張ればいいし、むしろ幸せを喜んでくれる人のほうが多いはずだ。だから、誰かの幸せといまの自分の状況と比べて落ち込むよりも、幸せのハードルを低くして、どんどん幸せになったほうがいい。

なにより君が幸せになったところで、誰も困らないし、人生は幸せな方が楽しいので、どうかさっさと幸せになってください。

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