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いっそ、夜に溺れる

夜遅くまで起きていると、街が静かだから心が落ち着く。日々、たくさんの業務に追い回されているからこそ、深夜の静けさが身に沁みる。誰もいない街に繰り出したくなるけれど、夜道は危険が伴うため、そこまで足が伸びない。

街にはもう桜が咲いているらしい。とはいっても、週末は雨予報のため、このまま花見をせずに桜のシーズンを終えるかもしれない。桜は飽きられるまに散る。加えて、例年同じ時期に花を咲かすため、冬が終わる頃にはいつになったら桜が咲くのだろうと心が躍る。街中を自転車で走っていると、ほんの少しだけ桜が咲いていた。ゆっくり見たいと思ったのだけれど、日々の業務がそれを許さない。心を亡くすと書いて忙しいと書く。もしかしたらあまりの忙しさに心が忙殺されているのかもしれない。そう思った途端に、やり場のない思いが胸を締め付ける。

この気持ちが虚しさなのか、悲しさなのかがわからない。何かを感じているのは事実だけれど、その正体がわからなくなってしまった。だから、どのようにして心を処理すればいいのかもわからず、きっと心が亡くなっているのかもしれないと思った。

仕事は楽しい。新しいにばかり触れる日々は刺激的で、ほんの少しの痛みが伴う。その証拠に毎日がギリギリで、なんとか踏み止まっている感覚がある。何事もできないはつまらないけれど、それを乗り越える瞬間は何度経験しても嬉しいものだ。

先日、ライターさんがたくさん集まるイベントに顔を出した。自分の書いた文章に誇りを持つ人はみんなかっこいいし、自分もそうなりたいと思った。誇りを持っていないわけではない。自分よりいい文章を書く人がごまんといる事実にうんざりしているだけだ。0から1を生み出すライターさんを尊敬しているし、できないからこそ、1を100にする編集者という仕事をしているのかもしれない。いっそのこと夜に溺れたい。自分を取り戻すための旅。このまま夜を思う存分楽しめば、いつか光明が差すかもしれない。文章が上手くなりたいし、編集も上手くなりたい。何歳になっても欲は尽きなくて、それがあるからこそ、日々を踏ん張ることができているのかもしれないとさえ思った、とある深夜の戯言。

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