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10年後の自分はどうなっていたいの?

先日友人と飲みに行った時に、「10年後の自分」について話をする機会があった。

自分の10年後をしっかりと見据えて、目標に向かって行動を積み重ねる友人。そんな友人とは真逆で、今に必死すぎて10年後の自分について考える余裕のない自分がいた。

はたして、10年後の自分はどうなっていたいんだろうか。10年前ならちゃんと明確に答えることができていたはずだ。でも実際に訪れた10年後は、想像とは全く違う方向へと進んでいた。

10年後の自分について、ちゃんと考えた方が良いのだろうか。経験則からいくと、きっと10年後は自分の予想を遥かに超えていく。10年前の自分からすれば、Macが商売道具になっているなんて、予想もしていなかったし、文章を書いている自分も全部自分の予想の斜め上を行っている。

10年前に描いた理想像は、教師になって、結婚もして、マイホームを購入して、家族と一緒に幸せに暮らす。子どもは2人いて、週末はキャンプに出かける。犬か猫とも暮らしているし、朝は子どもと一緒にお散歩に出かけて、「幸せだね」って笑顔で朝日を浴びているはずだった。

春には家族全員で花見もしているし、夏には線香花火で子どもと勝負して、わざと負けてあげている姿だって想像していた。秋には紅葉の綺麗さを子どもに必死に説いてる自分がいるし、冬は雪合戦を子どもとして、「やられた〜」って負けたフリもする。子どもと本気で雪だるまの大きさを勝負している姿を「ばかね〜」って、微笑む奥さんも隣にいる予定だった。

実際は教師にもなっていないし、結婚もマイホーム購入もしていない。でも、今は好きな仕事をさせてもらえていてとても幸せに生きている。10年前に想像した自分とはカスリもしない姿だけど、今の自分の人生に後悔もない。

「インスタ映え」や「zoom飲み会」は、全てインターネットがもたらした叡智のおかげだし、これからもどんどんインターネットは普及していく。

過去の歴史も淘汰されることになるし、働き方もどんどん変わっていくし、大手企業だって潰れるだろうし、結婚の概念だってどうなっているかわからない。本音を言えば、10年後のことなんて神様以外わからないから、考えるだけ無駄だと思っている。

だから友人の「10年後はどうなっていたい?」という問いかけに、10年後の社会は自分の予想の斜め上をいくのは間違いないから、何も言い返す言葉がなかった。

想像しても無駄だから、今を必死に生きている。今を必死に生きるから将来が楽しくなると思っている。逆を言えば、今を必死に生きていない人に楽しい将来なんてやってこない。これまでどんなことも、自分や誰かの協力のおかげで勝ち取ってきた。

だからこそ目の前の人を大切にしたいし、やるべきこともきちんと丁寧にこつこつ積み上げていく。それしか明るい未来になる方法を知らないから、これまでも、そしてこれからも同じ生き方を貫いていきたい。

でも何も具体的な将来像が出てこなかったのは事実だから、手元にあった生ビールを一気飲みしてごまかしを図る。取り繕えば取り繕うほど何も考えていなかった自分に嫌気が差す。

「いらっしゃいませ」と店員さんの大きすぎる声が鳴り響く。新しいお客さんが来店したのだろうか。店員さんの大きすぎる声に気を取られているうちに、話題は次の話題へと勝手に切り替わる。

10年後の計画がない自分を気遣ってくれたのだろうか。答えは知らないし、知りたくもない。

10年後の自分自身はどうなっているかはわからないけど、今みたいにきっと幸せに暮らしているに違いない。

だからこそ目の前のことを丁寧に愛情を持って接していきたいと思う。

それしか言えないのがちょっと悔しいんだけど、どんな道を選ぼうが、後悔だけはしないように、生きていたいな。

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