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感受性

人生経験として海外に行けば知見が広がるとたくさんの人に言われてきた。経験者が必要だと言うならば、それは紛れもなく事実なのだろう。彼らの話を間に受け、海外に行こうと決めて、パスポートを取った瞬間にウイルスが世の中に蔓延った。完全に意欲が削がれたというか他にやりたいことができて、いまだに海外に足を運んだことはない。現在は海外旅行の規制が緩和されているため、機会があれば行ってみたいとも思っている。

だが、日本にも素敵な場所がたくさんあるのも事実。結論、どこに行こうが楽しめる人は楽しめるし、つまらないと感じる人はつまらない。楽しいとつまらないのどちらかに揺れる要因は感受性が握っているのだろう。そう考えるとどこに足を運んでも同じだ。感受性が豊かでなければ、得られるはずだったものにも気付けない。旅を楽しむためには知識が必要で、それは本や映画などの娯楽によって身につけられる。いわゆる事前学習ってやつだ。行きたい場所について書かれた題材のものを観たり、読んだりする。現地へ足を運んだときに、ああ、これが本や映画で見た世界かと感動を味わう。

もちろん予備知識がなくとも、未知との出会いさえあれば楽しめる。予備知識があるが故の弊害もあるため、どちらを選ぶかは本人が好きに決めればいい。だが、感受性ってやつがなければ、どこに行っても楽しめない。加えて感受性はすぐに身につくわけではないため、日々のトレーニングが必要だ。楽しいと思えるか、つまらないと思うかどうかは結局のところ外的刺激ではなく、内面にある感受性が受け取れるかどうかが鍵となる。話を飛躍させるならば、人生も同じことが言える。楽しいと思えば楽しいし、つまらないと思えばつまらない。ここが楽園だと思うか。それとも地獄と思うかは感受性によって決まるのだろう。

とはいえ、気を抜いた瞬間に音を立てず、感受性が鈍くなっていく。僕は感受性を鈍らせないために、こうして文章を綴っている。自分が見聞きしたものやありとあらゆる体験を言葉にしてここに置いていく。いつか見返したときに、当時はこんな思いだったのだなぁと嬉しくなったり、時に悲しくなったりする。感受性は体験によって養われる。どんな手段でも構わない。自分の人生をより楽しむために、この先も主体的に感受性を養っていきたい。

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