ずいぶん、遠くまで逃げてきたもんだ
ずっと逃げ続けてきた人生を送ってきました。恥もたくさんかきましたし、じぶんの人生を誇れるわけでもない。後悔ばかりの人生で、「あのときに戻れたらいいな」なんてことを、ふとしたときに考えてしまう。でも、歩んできた時間にはもう戻れないため、後悔ではなく、よりよい未来のための前進だと考えているじぶんもいる。
嫌なことから目を背け、良いところにしか目を向けない。相手を見る視点では「悪いところではなく、良いところを見る」は、良い人間関係を築くために、良い作用を発揮する場合が多い。でも、人生で言えば、逃げ続けるよりも、戦うときは戦えた方が良いはずだ。
そして、悪いところから目を背け、良いところに目を向けるが、それが功を功を奏したときもあれば、不利益を被ったこともある。
「戦う」の基準が曖昧なぼくは、戦い方を学ばずに、ずっと逃げ方ばかり学んできた。逃げ方ばかりを学び、肝心のところで戦えない。
ちなみに高校時代にサッカー部を、やめたことが1番最初の挫折だ。府内でも競合の公立高校に通っていたぼくは、厳しい練習に耐え、レギュラーになるために、朝練と夜練を毎日欠かさず行なっていた。
1年チームのレギュラーにも選ばれたけれど、サッカーが嫌いになりそうになったため、夏休みの過酷な練習を耐えた後に、部活をやめることにした。サッカーは好きだった。いまもサッカー観戦はよくしているし、YouTubeでもよくスーパープレー集などの動画もよく見ている。
部活が楽しいのであれば、ずっと続けたかったという思いもある。でも、耐えられなかった。サッカーを嫌いになりそうになっていくじぶんを見るのが辛かった。いまもサッカーをしたい欲があるけれど、左目が見えなくなったため、サッカーをできない状態が続いている。
これは臆病者の顛末だ。逃げる選択肢ばかりを選び、じぶんを守る。攻撃は最大の防御だと言われているが、戦いを知らないぼくは最大の防御をができずに、常に後手後手に回ってしまっている。だから、守るための守りにしか入れない。
そして、現在も将来が見えていないため、「将来なにをしたい?」と聞かれてもなにも答えられない。世界を取り巻く情勢は変わり続けるから、答えられないと言えば、聞こえはいいかもしれないけれど、実際は考えることを放棄しているだけだ。
絶対的なビジョンがない。昔はあったけれど、そのビジョンはじぶんが成し遂げれないと思って、ビジョンを放棄してしまった。ほら、また逃げた。逃げてばかりだ。
面白そうなものに乗っかり、その中でもがき続けることしかぼくにはできない。それは誰かの二番煎じでしかなくて、新たになにかを生み出しているわけではないし、じぶんが0→1の人間ではないと決めつけてしまっている。
仕事に関しても、やりたいことはあっても、「将来どうなりたい」というビジョンがない。目の前の仕事に必死すぎて、ついていくだけで精一杯という言い訳をし続けている。
考えようと思えば、隙間時間を活用して、考える機会はいくらでも作れる。でも、仕事以外のことをしたいという欲望から逃れられず、大事なことから目を背け続けているのだ。
かっこ悪いったらありゃしない。でも、それでもなんとか生きることができている。それは周りの人が優しいからだ。誰かに生かされているぼくは、1人ではなにもできない。
じぶんから逃げ続けるじぶんをやめたい。だからこそ、2021年は攻めに転じる。そして、少しずつじぶんの描きたい未来を掴んでいく。
人間は気持ちさえあれば、何度でも生まれ変わることができる。
精神論かもしれないけれど、最後に勝つのは気持ちが強いやつだ。だから、小さな灯りを灯し続け、その灯りを大きくする努力を続けていきたい。