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「やさしい」人になりなさい

母は物心ついた頃からずっと「強くなくていいからやさしい人になりなさい」と言っていた。

学校でいい点数を取るよりも、大切なことが人生ではたくさんある。いい成績を叩き出して、いい企業で働けたとしても、じぶんが幸せじゃなかったら意味がない。

母は成績がよかったわけではないが、生きる術はちゃんと持ち合わせていた。テストで点を取る頭の良さではなく、生きるためになにをすればいいのかをきちんとじぶんの頭で考えて、実行する人だった記憶がある。

だから、テストで点を取るよりも、バスでおばあさんに席を譲ったり、上り階段で女性の荷物を持ってあげた話をしたときのほうがよく褒められた記憶がある。もちろんテストでいい点数を取ったときも褒められたが、人に優しくしたときの方が、褒めの感度は高かった。

僕としては、人にやさしくするよりも、勉強で褒められるほうが嬉しかった。なぜ人にやさしくすることで、褒められるのかが当時はよくわかっていなかったのだ。

もしかすると母はぼくに言っていたことを、じぶんに言い聞かせていたのかもしれない。じぶんに言い聞かせることで、人にやさしくあり続ける。そして、やさしさを周りに還元することで、ぼくにもやさしい人間になってほしかったのかもしれない。

逆に父は「勉強ができる人になりなさい」と、ずっと口酸っぱく言っていた。父は成績が優秀で、高校も府内の進学校に進学していた。ところが家の事情で、大学には行けず、そのまま就職してしまった。だからこそ、我が子にはちゃんと大学に行ってほしいと願っていたはずだ。 

人に優しくしたときの話よりも、テストでいい点数を取ったときのほうが褒められた。そして、テストの点数が悪かった場合は、こっぴどく怒る。大切なものを捨てられたこともあるし、怒鳴り散らすだけでなく、暴力を振るわれたこともある。暴力はよくないけれど、それはおそらく不器用な父なりのやさしさだった。

父はテストでいい点数を取るたびに、「さすが俺の子どもだ」と声高らかに言っていた。世間体を気にしていたのか。それとも己の遺伝子から劣等種が生まれるはずがないと信じていたのかはわからない。

父は頭が良かったが、生きる術はあまり知らなかった。いつも母に頼りっぱなしで、母がいなくなってからは、相当苦労をしていたようだ。

「やさしい人であれ」「勉強できるほうがいい」の2つの言葉はどちらも正しいと思う。

中学時代は勉強をサボって、怒られまくっていたが、高校では学内でも10番目ぐらいの成績を誇っていた。そして、人に対する親切心も忘れなかった。それはきっと近くで、ずっとやさしい母を見てきたおかげだ。

「やさしい人であれ」

その言葉の本当に意味は、じぶんが難病になって、いろんな人からやさしさをもらったことで知った。やさしさは人を救う。でも、勉強は直接的には人を救わない。医療など専門的な勉強は別だが、勉強ができるよりも、やさしさのほうが人の心を癒してくれるものだ。

勉強ができるのも大切かもしれないが、やさしさを持っている人のほうが強い。強さと勉学の両方を兼ね備えることができれば、最強だけれど、どちらかしか手に入れられないのであれば、僕は迷わずやさしさを選ぶ。

たくさんの人にやさしさをもらうたびに、じぶんはこのやさしさをどうやって還元していこうかと考えてしまう。この癖はもう直らない。だから、その前段階として、もらったやさしさを噛み締めることにした。

やさしさをもらえることは、当たり前ではない。

やさしさをもらった分だけ、誰かにやさしさを還元していく。

これは母の教えだからとかではなく、僕の意思でやるだけだ。

「人にやさしく。じぶんにやさしく」の精神を、いつまでも忘れないでいよう。

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