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「参加賞」

夜明け前、寝ぼけ眼をこすりながら締め切り前の原稿を執筆していた。

「寝たい」という感情と、「仕事のため」という感情がせめぎあう中、大抵の場合、後者が勝利する。必死で書いた文章も赤がたくさん返ってきた時は、自分の力量不足についへこんでしまう。

寝る間も惜しんで頑張っていることを、たまに誰かに認めてもらいたくなる時があって、そんな時は「醜い自分がまた出てしまった」と後悔してしまうんだよ。

自分のために頑張っているんだから、自分で頑張りを認めてあげたらいいだけの話なんだけど、それだけでは物足りない時があって、そんな時は他人の評価が欲しくなってしまうから嫌になる。

でも頑張っているだけでは認められないのが現実。あくまで「結果がすべて」な資本主義社会では「頑張ったで賞」なんて都合の良い賞状はこの世に存在しない。

頑張るだけなら誰でもできるし、頑張るだけですべての物事が成し遂げられるなら人は死に物狂いで頑張るのであろう。でも頑張るだけでは何も成し遂げられないから、人は挫折するし、人生に絶望を抱いたりもする。

すぐに前を向ける人は別の物事に取り組めるけど、そんな超絶ポジティブ人間はごくわずかだから、大抵人は失敗を引きずりながら日々を過ごしているのであろう。

同じことに取り組んだとしても、どれぐらいの情熱を注いでいるかで頑張り度合いが変わるだけ。程々に頑張る人もいれば、死ぬ気で頑張る人もいるからみんな各々何かを頑張っているのは間違いない。

頑張りの評価はあくまで他人に委ねられてしまうから歯痒い世の中だとたまに思う。みんな何かを頑張っているし、頑張っていることを自分だけが認めてほしいという自己承認欲求はただのエゴでしかない。

生きていると何事に対しても評価が欲しくなってしまう時がある。自分で自分の頑張りを認めてあげればそれで良いのに、誰かの評価がつい欲しくなってしまう。

人生で誰かに表彰されることは滅多にない。でも頑張りが報われた時はすごく嬉しい気持ちになるし、もっと頑張ろうと思える。

「頑張ったで賞」を表彰されないのであれば、せめて「参加賞」がほしいなと思うのでした。


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