見出し画像

31年間生きてきて、今が一番幸せだ

31年間生きてきて、今が一番幸せだと感じている。自分の手元にあるものを数えるだけでもうこれ以上の幸せはないのかもしれないと思ってしまうほどにだ。

逆に人生のどん底は、大学時代だ。母が病気を患い、家族の生活費と母の治療費を稼ぐために、死に物狂いで働いていた。加えて大学の学費も払っていたため、大学生が経験するような出来事にほとんど触れられなかった。周りの友人が遊んでいたり、留学に行ったりしているのを指を咥えて見ることしかできなかったのが今でも心残りだ。

あまりにもお金がなさすぎて、ご飯を食べられない日々も続いた。通帳の残高は給料日の日に1桁台になることもしばしば。自分だけが不幸だと死んだ魚のような目をして生きる毎日だった。友人の家でご飯を分けてもらうこともあったし、近所のパン屋さんからパンの耳をもらうことも。誰かに相談したとしても、問題が解決するわけでもない。泣きたいときはいつも河川敷で声を上げて泣いていた。

周りとは違うという劣等感が己の精神を蝕む。いつしかどうやったら楽に死ねるのだろうと考えるようになっていた。当時、河川敷に野犬がいると噂になっていたので、野犬に襲われて死ねるならそれでいいと思っていたのも事実だ。だが結局、自死を選ぶ勇気もなく、いつの間にか学生時代が終わりを迎えた。

大学3年生の時に唯一の支えであった母が亡くなった。それまでは世界を冷酷な目で見ていたのだけれど、母の死を境にこの世界をつまらないと感じている根本の原因は自分自身にあるのだと気づいた。そこから人生を楽しむためにどう生きるかという視点に切り替わったように思う。最初から前向きだったわけではない。人は痛みを知って何かを得る。僕の場合は、それが母の死だったにすぎない。

社会人になって、大学時代のような貧困には戻りたくないと考え、懸命に働き続ける毎日。クソみたいな人間に騙されることもあったし、たくさんの失敗を積み重ねてきた。それもトータルで考えると、全部プラスだ。会社員からフリーランスとして独立。ライターとして仕事をしていくうちに、ベーチェット病と呼ばれる難病を患った。

当時は1人で何もできない状態になっていた。周りの人に生活の世話をしてもらったり、生活費の支援をしてもらったりした。ずっと1人で生きていると勘違いしていた僕は難病によって、1人じゃないという当たり前の事実に気づいた。治療の甲斐もあって、社会復帰を果たしたのだけれど、そのときもお世話になっていたクライアントさんの助けによって何とか生き延びられた。

ライターとしてのキャリアに悩んでいるときに、友人から「編集者に向いてそう」と言われ、ノリと勢いで編集者になった。編集者はライターさんの上位互換だと思っていたが、実際に働いてみて分かったのは、文章を書くほうが何倍も難しいってことだ。職業に上も下もないけれど、むしろライターさんの方が偉い気がする。実際に編集者の仕事は自分に合っていると感じられているのも、一緒にお仕事をしている人たちの支えがあってこそのことだ。もちろん大変なこともあるけれど、誰かと一緒にいいものを作り上げる時間は至福だ。この先もずっと続けていたいと思える仕事に出会えた僕はとてつもなく強運の持ち主なんだと思う。

難病の発症から数年が経ち、今も闘病中なのだけれど、今が幸せだと胸を張って言い切れる。もしかしたら今の僕は恵まれ過ぎているのかもしれない。家には愛する妻と猫がいて、生活に困らない程度の仕事もあって、大好きな趣味がいくつもある。これ以上を求めると罰当たりなのかもしれないと恐怖に感じるほど幸せだ。

だが、愛する人たちのため、そして自分自身のために、今以上に仕事で成果を出していきたい。大好きな古着をいくらでも購入できるようになりたいし、年に1回は妻と海外旅行に行けるようになりたい。今以上を求めるのは罰当たりだと書いたが、それは己が課した呪縛のようなもので、所詮はまやかしに過ぎない。僕たちは今以上に幸せになっていいに決まっている。そのためにできることを一つずつ積み上げる。その結果がさらなる幸福だったら嬉しい。そんなことを考えながら、妻と猫が待つ家に帰った水曜日の夜。

この記事が参加している募集

眠れない夜に

新生活をたのしく

ありがとうございます٩( 'ω' )و活動資金に充てさせて頂きます!あなたに良いことがありますように!