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愛の形は人それぞれでいい

この世に存在する愛の総量は、一体どれほどあるのだろうか。愛の数値化はできないし、誰かの思いやりが愛だと断定もできないため、総量を考えるのは現実的ではない。それでも愛は世界中に存在すると思っているし、人生で最も大切なのは愛だと盲目的に信じている。そもそも愛ってなんだろう。31年も生きているのに、愛の正体はいまだによくわからない。愛の定義化はできないけれど、自分が愛だと思ったのであれば、それはもう愛だと言い切っていいのかもしれない。

ディズニー作品の中に、描かれる愛の変遷に心を打たれる自分がいた。過去の『シンデレラ』や『白雪姫』は受け身の愛だったけれど、現在は自分から行動を起こすようにシナリオが書き換えられている。『美女と野獣』と『アラジン』からは、愛に身分や容姿は関係ないということを教えられた。『リトルマーメイド』や『ラプンツェル』は受け身ではなく、閉ざされた世界から飛び出したからこそ、真実の愛を見つける。『アナと雪の女王』で、アナはエルサとの間に真実の愛を見つける。ディズニー作品が、愛にはいろんな形があることを教えてくれた

街を歩いていると、さまざまな愛の形を見かける。今日は外を手を繋ぎながらお散歩する老夫婦を見た。自分もあんな風になりたいと思ったし、そう思える人とずっと一緒にいることができるのは、どれほど幸せなのだろうかとも思った。そのほかにもスーパーで駄々をこねる子どもに対して、人目を憚らず叱る母親も見た。この子が母親の愛情に気づくのはいつなんだろうとか、自分も似たような経験をしたなと懐かしい気持ちになった。

愛には恋愛以外にも種類がある。これは恋愛や結婚だけに限った話ではない。恋愛や結婚が幸せのゴールではないと思うし、恋愛や結婚をした人でも幸せじゃないと言っている人をこれまでに何人も見てきたのも悲しい事実である。自分を大切にするのも立派な愛だし、友達を大切にするのも立派な愛だ。同性や異性、どんな人を好きになろうが、愛には性別など関係ない。自分が好きになった人が愛した人だ。人の愛を誰かが否定する権利もないため、各々が各々の愛を大切にすればいい。

自分を愛すること、誰かを愛すること。その対象が誰であろうと、そこには必ず愛が存在する。どんな愛の形を求めるかは自由だけれど、人は誰かによって生かされているという事実だけは忘れてはならない。僕たちはけっしてひとりでは生きられないのだ。

自分を愛しすぎると他者への思いやりが疎かになるし、他者を愛しすぎるとやがて執着へと変貌を遂げる。愛の総量はきっと人によって違うけれど、自分が幸せになるためにも、愛の比重を真剣に考えた方がいいのかもしれない。生きているといいことや嫌なことが起きるのが世の常だ。どんな出来事があったとしても、いまの自分が幸せだと言い切れるのは、常に誰かから愛を受けているためである。今はそのような綺麗事を言えるけれど、数年前の僕は幸せだと胸を張って言うことができなかった。

31年間、ずっと誰かに愛されて生きてきた。周りの人からたくさんの愛を受けてきたからこそ、誰かを愛したいと思えるし、自分のことを大切にしたいと思える。今目の前に存在するものは、決して当たり前ではない。誰かの支えによって僕たちは生きている。自分が愛したいものはなんなのか。適宜見直しながらこれからも生きていこう。

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