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ずっと後ろめたかった心の呪縛が解けた

後ろめたかった。2年間、ずっと後ろめたかった。どこにいても、何をしていても、後ろめたい気持ちがずっと自分の心を蝕んでいた。心の呪縛と呼んでも差し支えない「ねばならない」を解いてくれた人がいる。

2019年9月に、「ベーチェット病」と呼ばれる難病にかかった。難病が原因で、ぶどう膜炎を発症し、目の内側と外側の両方に炎症が出た。顕微鏡で見る微生物が目の中にずっといる感覚。徐々に微生物に視界を覆われ、ついには何も見えなくなった。

難病の症状であるぶどう膜炎から併発して、両目とも白内障にかかった。2021年に両目の手術を経て、ことなきを得たけれど、水晶体を取り外し、人工レンズをはめたため、近くしかまともに見えない。遠くを見る際は、眼鏡が必須となる。誰かと会うたびに、なぜ眼鏡の付け外しを何度も行うのかを毎回説明する生活。

正直、毎回白内障になった事実を人に説明するのはめんどくさい。でも、眼鏡を何度も付け外しする人を見れば、「なぜ何度も付け外しするの?」と疑問を抱くのは当然だ。僕も疑問に思うし、その理由を聞きたくなる。

相手に疑問を抱かせないために、「白内障にかかったため、眼鏡の付け外しをするんですが、気にしないでください」といつも伝えている。その度に胸が締め付けられる感覚になってしまうけれど、これは仕方がない話だ。

相手に迷惑をかける前に、あらかじめ不都合を伝えておく。それは相手だけじゃなく、自分のためになる。この学びは。白内障になった唯一の恩恵だと言っても差し支えない。

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難病にかかった初期は、まっすぐ見ているはずが、目の焦点が合わず、「焦点が合ってない」と何度も言われた。当時、どこを見ているかわからないかつあまりにも赤すぎる目を鏡で見るたびに、「こんなの自分じゃない」と涙を呑んだ。そのほかにも関節がくっついて、1時間以上体を起こせなかったり、体の至るところに湿疹が出たりもした。

難病の治療のため、仕事を1ヶ月半以上休んだ。1人で生活することすらままならず、いろんな人のお世話になった。本当にたくさんの人にお世話になりっぱなしだったため、いまも頭が上がらない。迷惑をかけた自負はある。その恩返しとして、出来るだけ人に優しくしているつもりだ。

たくさんの人に助けられた経験が、「自分は人に迷惑をかけたから人に優しくしなければならない」と思うきっかけになった。人に優しくする。それはいい人のように聞こえる。でも、僕にとって、「人に優しくしなければならない」と心の中に楔を打ち込まれた感覚だった。

ときには自分を押し殺し、相手の感情を優先する。嫌われたくないとか、居心地のいい時間を過ごしてほしいとか、そういった思いもあった。人に優しくするたびに、心がどんどん痛くなる。それが心の呪縛になっていると気づいたのは、ある会話がきっかけだった。

先日恋人と電話をしているときに、「難病について教えてほしい」と言われた。難病の話をするたびに、当時の情景が鮮明に頭に蘇る。人に迷惑をかけた後ろめたさと、辛かった思い出を思い出す。

いろんな人に難病の話をしていくに連れて、あることに気づいた。それは難病の話を聞いてくる人には2種類の人がいることだ。前者は単なる好奇心で、症状や当時の情景を聞くだけで満足する。後者は話を聞いた上で、どんな対応をすれば良いかを考えてくれる。どう判別するかって話だけれど、これに関しては感覚の話になるため、また別の機会にきちんと言語化したい。

正直、恋人に難病の事実を知られてしまうと、嫌われるのではないかと少しの不安もあった。「難病になってからのリョウタくんしか知らないから嫌いになるとかはないよ。難病について聞いたのは、私に何ができるかを知りたかったの」とあまりにまっすぐに言われてしまったため、不覚にも瞼から滴がこぼれ落ちた。

幸いにも恋人は、自分に何ができるかを考えてくれる人だった。だから、難病の症状やどんな生活を送ったか。いまどんな治療を受けていて、これからどうなっていくかなど、恋人に難病について包み隠さず話した。

難病の話をしているうちに、「人に優しくしている理由は、後ろめたさからきているのかもしれない」と気づいた。誰かに迷惑をかけた人間は、人に優しくしなければならない。心の呪縛が自身を追い詰める。その証拠に自分を押し殺し続ける自分が何度も嫌になった。これまで人に優しくする理由を考えたことがなかったし、1人で考えたところで、この結果には至らなかったはずだ。誰かに話す行為は心の整理になるし、心の奥底に置いてある本音に気づくきっかけになる。

「人に迷惑をかけた人間は人に優しくしなければならない」とずっと思い込んでいる自分に対して、恋人はこんな言葉をくれた。

「辛い思いをしたから相手の痛みがわかるってことじゃない?人に優しくできるっていいことやし、人の良さを見つけるって誰にでもできることじゃない。あなたの優しさに救われている人はたくさんいるし、優しいところはあなたの良さだから胸を張って生きればいいと思う」

その言葉を聞いた途端に、いままでずっと抱えていた荷物を下ろせたような気がした。難病になってから2年間、ずっと人に優しくしなければならないという呪縛に囚われていた。人に優しくできるのは、自身のいいところである。そんな当たり前の事実に気づくのに、2年もかかった。

恋人は難病の症状を理解してくれる貴重な存在だ。自分が辛いときにそばにいてくれる人を大切にしたほうがいい。そんな言葉が世界のあらゆる場所で散見されているけれど、この言葉は紛れもなく事実だ。

11月に手術入院をしているときも、何度も電話で励ましてくれた。病状が良くなるたびに一緒に喜んで、悪化するたびに一緒に悲しんでくれる。恋人の励ましにどれだけ救われただろうか。恋人の優しさに恩義を感じ、「恋人を大切にしなければならない」とずっと思い込んでいた。でも、いまは違う。「大切にしなければならない」から「大切にしよう」に変わった。

ずっと後ろめたかった心の呪縛を解いてくれた人は、偶然にも身近にいた。これからは人に優しくするたびに、後ろめたい気持ちにならなくていい。そう思わせてくれた恋人には、感謝の気持ちしかない。

人に優しくすると人に優しくしなければならない。両者はまったく同じ出来事のはずなのに、捉え方が変わるだけで、心が随分と軽くなった。僕も素敵な恋人を見習って、相手の悩みに寄り添える人間になりたいし、恋人が困ったときに、力になれる人間でありたいな。

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