『それでも世界が続くなら』に人生を救われた話
声を枯らし、命を燃やしながら歌う彼の姿は優しくて狂気的だった。
『それでも世界が続くなら』と出会ったのは、大学生の頃だ。当時家庭環境が原因で、生きることに絶望していた僕は音楽によって救われていた。
誰も知らない新しいアーティストを発掘するのが好きだったため、大学の授業終わりによくタワーレコードに足を運んでいた。女性のイラストのジャケットに目を奪われて、手に取ったのが『彼女の歌は死なない』と書かれたアルバムだ。
最初に収録されていた『シーソーと消えない歌』を聴いた。
ボーカルである篠塚の魂に響く歌声を聴いて、「ああ、今抱えている痛みはいつか終わるものなんだ」と勝手に涙が溢れ出した。人目も憚らず流れる涙は恥ずかしいものだけれど、人生に絶望して枯れ切った心を突き動かした音楽を試聴で終わらせるなんてもったいない。そう思った瞬間に、なけなしのお金を握りしめて、レジに足を運んでいた。家に帰って何度もリピートして、友情や愛情、夢や希望を歌った楽曲はひとつもないことが分かった。
彼らが演奏する音楽は万人受けするようなものではなく、弱い立場に置かれた人にしか理解できないのかもしれない。その証拠に弱者の哲学と呼ばれる篠塚の楽曲は、辛い現実を受け止めながらも、前に進むためにもがくさまを描いている。理想論は並べないし、無理に励まそうとする気配もなく、痛みに寄り添う楽曲が多い印象だ。
『それでも世界が続くなら』は、かつてボーカルの篠塚将行を中心に活動していた『ドイツオレンジ』がメンバーを入れ替えて、始動したロックバンド。バンド名の由来は「もう一度バンドをやるなら、バンド名なんかなくていい」という理由で、「続」という言葉が入った「固有名詞ではない文章」として付けられたそうだ。
ボーカルの篠塚の実体験ベースで綴られる歌詞には嘘偽りがなく、心の奥底にスッと入り込んでくる。その理由は過酷な環境を生きてきた篠塚にしか書けない唯一無二の歌詞だからこそなのかもしれない。彼のSNSのフォロワーには心を痛めている人が多く、これまでに篠塚に救われた人を何度も見てきた。何を隠そう自身もまた彼に救われた人の1人である。
彼らの音楽が胸に残った理由は、伝えたい言葉を着飾ることなく真っ直ぐ伝えてきたためだ。伝えたいことをただ真っ直ぐ伝える難しさは、物書きの人ならわかるはず。いつか文章を書くのであれば、篠塚みたいに真っ直ぐな言葉で文章を書きたいと思っている自分がいた。
彼らはメジャーデビューを果たした後に、インディーズに戻った稀有な経験を持つバンドだ。インディーズに戻ると知ったときは、正直意味がわからなかったけれど、彼らには彼らの事情があるのだろう。形が変わろうとも応援し続ける、ファンにはそれしかできない。
いつしか彼らの音楽を生で味わってみたいと思うようになった。彼らのライブ情報をずっと追い続け、とうとうライブに行けることに。32年という歴史を刻んだ今はなき十三ファンダンゴで『それでも世界が続くなら』の演奏を生で観た。
生ビールを片手に鑑賞したあのライブを、いまだに鮮明に覚えている。まず会場に姿を現した篠塚が体を揺らしながら何かを口ずさんでいた。何を言っているかはうまく聞き取れなかったのだけれど、観客に対する感謝の言葉を述べていることだけはわかった。
『シーソーと消えない歌』でライブが始まる。ライブの序盤にもかかわらず、ボーカルの篠塚はもうここで終わってしまってもいいと思わんばかりのシャウトを披露する。それに呼応するかのように、周りの観客が次々に涙を流し始めた。
最後の楽曲『参加賞』が始まった途端に、声を出して泣いている人もいた。かつては夢を追いかけ、夢半ばで諦めた人なのかもしれない。1等賞になれなかった。何ももらえないのは嫌だから、せめて参加賞が欲しかったと願う人はきっと多いだろう。
ライブが終わった直後、篠塚はその場で倒れてしまった。すぐに立ったのだけれど、彼の音楽にかける熱い思いを目の当たりにして、命を燃やすとはなんなのかを教わったような気がする。
あれほどまでに涙を流しながら観たライブははじめてだ。命を燃やしながら歌う篠塚の姿を見て、まだ生きたいと願っている自分がいた。クソッタレな世界の中にも光はあると信じてもいいのかもしれない。この世界に生きている証を刻めなくても、参加賞ぐらいならもらえる。たとえ何者にもなれなかったとしても肯定してもらえる場所が、確かにここにあった。
感想を言葉ではうまく言い表せないほどのいいライブだった。ライブの帰り道に自身に降りかかる辛い現実をふと思い出して、「ふざけんなよ」って言いながら、また泣いて、帰路に着いた。
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