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その青に溺れて

「ねえ、海人、来週海に行かない?」

突然、理奈から1通のLINEが届いた。理奈はいまでもよく1人で海に行っているらしい。海がよく似合う彼女は、海にも愛されていた。サーフィンの大会で、大学時代に日本チャンピオンになった。容姿が抜群で、スポーツ万能。その上、成績も優秀で、誰もが羨む女性だった。彼女は自身の美貌に驕ることなく、礼儀正しく丁寧で、異性だけでなく、同性にも囲まれていた。

ちなみに理奈とは、大学を卒業して以来会っていない。理奈との出会いは大学の部活。ぼくも彼女と同じく、サーフィンをしていた。でも、彼女と比べ、ぼくは優秀ではなかったため、大学卒業と同時にサーフィンをやめた。そして、大学卒業後に都内のアパレル企業に就職。いまはどこにでもいるサラリーマンだ。

「いきなりどうしたの?」

「なんか海人のことが頭に浮かんできて、元気にしてるのかなと思って連絡をしてみたんだ」

理奈はほんとうに、男心をよくわかっている。いままで何人の男をその手で落としてきたんだろうか。

ぼくは理奈が好きだった。でも、彼女には当時3年ほど、お付き合いをしているお相手がいた。彼女に恋人がいるとは知らなかったぼくは、彼女に告白をしてしまったのだ。恋人がいるとわかっていたら、告白なんてしなかったのに。彼女は恋人がいるにも関わらず、ぼくの告白を受け入れてしまった。

ちなみに2人の関係性は、ぼくと理奈だけの秘密だ。秘密は秘密にしておくことで、どんどんその綺麗さが増していく。大学の友人はおろか地元の親友すらも、2人の関係性を知らない。これは2人だけの完全犯罪だ。でも、卒業してから彼女との連絡は、一切途絶えていた。お互いに良い関係性ではないと感じていたため、2人が選んだ選択肢は間違いではなかった。

彼女とお別れしてからの3年間。ぼくは仕事に明け暮れ、順調に出世もできた。そして、社内の後輩とお付き合いもした。恋に疎かったぼくは、後輩の気持ちを理解してやることができなかった。同棲生活がはじまり、価値観のちがいによって、後輩とはもうお別れしてしまったのだ。でも、ぼくはそれなりに幸せな生活をしている。

幸せの最中、彼女から1通のLINEが届いた。大学を卒業して、3年が経ったいまでも彼女と会ってしまえば、簡単に恋に落ちる自信がある。1度好きになった女からのお誘いだ。きっとなにかがあるにちがいない。

彼女との約束の日がきた。彼女は待ち合わせ場所に、青いフィットに乗ってやってきた。青色は彼女の好きな色だった。青い海が似合う女。青は彼女そのものだった。まさか車の色も青にしているとは。彼女は海に愛されていた。そして、彼女も同じく海を愛していた。

海に向かう道中、車内で卒業後の話をした。仕事の話やプライベートの話、彼女は卒業後、客室乗務員になった、日本だけでなく、海外のさまざまな国を行き来している。海の女が、今度は空の女になった。海の青さも良いが、空の青さも良いとのこと。いまはもうサーフィンをやめたそうだ。サーフィンをやめた理由は、あえて聞かなかった。

青い海の波を上手に乗りこなしていた理奈は、いまは鉄の鳥に乗って、青い空を滑空し続けている。海と空に愛された女。青は彼女にとって、特別なものにちがいない。

他愛もない話をしているうちに、海に到着した。冬の海は、人が少なくて好きだ。静かな空間に青い空。波の音が軽やかなメロディを作り出す。水鳥は空を滑空し、魚たちは海の奥底で歌を歌う。舞い上がった魚は、力任せに空を飛んだ。この広大な青は、自由そのものだ。

あまりにも綺麗な青に、言葉なんて必要ない。言語化してしまえば、その途端、チープなものになってしまう。言語化できない表現は、「エモい」とでも言っておけばいい。それがまかり通るのが現代のいいところだ。

僕たちは言葉を交わすことなく、ただ波の音を聞いていた。自然の一部になったかのような感覚。潮風が吹く。ぼくと彼女は、青くて広大な海をただただ眺める。ああ、魚のように、海を自由に駆け回れたらいいのに。なんてくだらない妄想をしながら、物思いに耽っていた。

1時間ほど海を眺めた後、突然理奈が海に入った。そして、ぼくに海水をかける。負けじとぼくも、理奈に海水をかけ返す。まるで大学時代の幸せな2人に戻ったような感覚。ああ、やっぱり理奈はちっとも変わっていない。大学時代に、ぼくが恋に落ちた理奈のままだった。

この幸せな時間が永遠に続けばいいのに。でも、ひとつ疑問があった。理奈は大学時代にお付き合いをしていた彼とは、一体どうなったのだろうか。言葉は喉元から出かけているのに、最後のひと押しができない。肝心なところで、なかなか勇気が出せない。

「海人は、いま恋人がいるの?」

ぼくの喉元から出かけていた言葉を、そっと押し戻す。彼女から恋人の有無に触れてくるのはめずらしい。2人は恋人について干渉しない仲だったはずだ。その契りを彼女のほうから破るなんて、恋人となにかあったのだろうか。

「会社の後輩と付き合ってたけど、1年前に別れた。だから、いまは恋人はいないかな」

「ふーん、そうなんだ。海人はいい男なのに、後輩ちゃんは見る目ないなぁ〜」

「そっちは?」

「私は大学のときから付き合ってた彼といまもお付き合いしてるよ」

本当は理奈のことが、忘れられなかっただけだ。この事実を彼女に告げれば、彼女はぼくを受け入れてくれるのだろうか。どんな女性とお付き合いしても、いつも脳裏には理奈との思い出がちらつく。青がよく似合う女にぼくはまんまと溺れていた。卒業して会えなくなった時間の中で、彼女に対しての愛は、勝手に膨らんでしまっていたのだ。

卒業してから連絡が途絶えた女のことなんて、綺麗さっぱり忘れ去りたかった。でも、懸命にもがけばもがくほど、どんどん溺れていく。恋の忘れ方は、別の恋をすることではない。本当に印象に残った恋は、別の恋では上書き保存ができないのだ。

恋の消去法は、「いつの間にか忘れている」が1番の得策だ。理奈との思い出は、会わない3年間で、少しずつ消えかかっていた。それなのに、理奈はまたぼくの目の前に現れた。青はやっぱり広くて深くて綺麗だ。綺麗な青は、またしてもぼくの心を苛む。海を見ても、空を見ても、青は世界を覆い尽くしている。そして、君という青にずぶずぶと溺れていったのがこのぼくだ。

他愛もない話が続く。横に並ぶ君の横顔に、見惚れるぼくがいた。この気持ちを、彼女に悟られないよう隠すことで精一杯だ。理奈という海に溺れた男は、とんでもなく惨めな気持ちになっていた。

日が落ちて、あたりはすっかり真っ暗になった。海の青は黒へと変化し、空の青は星が覆い尽くしている。すっかり寒くなった海を僕たちは後にした。

車内では、backnumberの「ハッピーエンド」が流れている。この楽曲のとおりにシナリオ通り進めば、僕たちは結ばれない運命だ。そうなれば、「ハッピーエンド」の歌詞のように、奥にあった想いと一緒に握り潰さなくてはならない。

無言のまま青いフィットを運転する理奈。結局、ぼくたちは別れ際まで、一言も話さなかった。家の下に着く。そして、理奈とお別れをした。ドアノブを捻ったと同時に、「大事な話があるの」と理奈からLINEが届いた。

iPhoneが光る。理奈からの着信だ。慌てて電話に出る。「私、来年結婚するんだ」と、理奈は涙ながらにそう言った。結婚とは幸せになるための行為だ。それなのに彼女は、なぜ涙を流しているのだろうか。戸惑いを隠せないぼくは、突然の告白に、「おめでとう」としか言えなかった。

なぜ彼女が結婚の前に、ぼくに会いに来たのかがいまだにわからない。現時点で、わかっている事実は、彼女が結婚する前に、ぼくに会いに来た事実と彼女が結婚してしまうという事実のただ2つだけだ。

ぼくは彼女に恋をしていた。そして、失恋した。たったそれだけのこと。奥にあった想いはもう握り潰してしまおう。感情的になって、部屋を飛び出る。いつもは通常通り見えている街の街灯や駐車場に止められている車、コンビニの看板も、うまく見えなかった。目から涙がこぼれ落ちている自分に気づく。もうすっかり暗くなった空に、青はもういない。そして、彼女の瞳にぼくはもう映らない。

このお話は、僕たち2人だけの秘密だ。秘密は誰にも明かされない限り、永遠に僕たち2人だけの物語になる。

「その青に溺れて」

ぼくは2人だけの秘密の物語を墓場まで持っていく。そして、1人でこの完全犯罪をやり遂げてみせるよ。さよなら、どうぞ永遠にお幸せに。

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