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読者は「文章」をぜんぶ読まない

「ここに書いてあるからちゃんとぜんぶ読んでよ」

書き手と読者の間には、いつも齟齬が生まれる。そして、この齟齬が誤解を生み、関係性の悪化への階段を少しずつ登っていく。

文章は、思っているよりも読まれない。すべての文章を読んでもらう行為は、どれだけ優れた書き手でも難しい。あらゆる文章は書き手の真の意図が、伝わらない場合がほとんどだ。

そして、読んでもらえなかった事実を書き手のせいにする。これは完全に悪循環だ。どう考えても、読ませられなかった書き手が悪い。読者も「書き手が悪い」と、考えているはずだ。

でも、書き手は読者のせいにしてしまう場合もある。どちらが悪いかを決めるのはその人次第だけれど、長期的な視点で考えると、書き手の技量不足だと考えた方がいい。

書き手の意図が伝わらない現象は、対面で話す場合でも同じ現象が起きている。語彙力不足、論理破綻など、さまざまな原因が挙げられるが、相手のレベルに合わせられなかった話者の技量不足にすぎない。

他責は、非常に簡単な行為だ。でも、読者のせいにし続けると、じぶんの成長にはつながらない。他責と自責では、自責の方が成長しやすい傾向にある。じぶんに原因があると考え、改善や工夫を凝らした方が成長速度が速まるためだ。

だから、書き手は「読者は文章をぜんぶ読まない」を、頭に入れて文章を書いたほうがいい。

読んでもらえないから、読んでもらえるように改善や工夫を凝らす。なにがダメだったかを、客観的に考察する。時には読者に直接感想を求めてもいいだろう。

「伝えたい言葉を太字にする」「カタカナ言葉ではなく、日本語で伝える」「読者のレベルに合わせて文章のレベルを調整する」など、伝えるための手段はいくらでもあるはずだ。

伝わらなかったのはじぶんのせい。じぶんの伝えたい言葉を伝える努力をする。書き手は傲慢になってはならないのだ。書き手が、読者に寄り添う視点を、常に忘れないようにしよう。

どんな文章も、意図や解釈は相手によって異なる。伝えたい言葉がある文章は、じぶんが伝えたい言葉がちゃんと伝わったら書き手の勝ち。伝わらなかったら書き手の負けだ。


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