『イエスマン “YES”は人生のパスワード』が教えてくれたこと

人生には想像以上に決断を迫られる場面が多い。事が大きければ大きいほどに選択に迷ってしまうのは、それだけ真剣に考えた証拠なんだろう。そして自身の決断を受け入れられる場合もあれば、後悔で涙を流す場合だってあるのだ。

決断を迫られたときに「イエス」と答えれば、人生が変わる。

『イエスマン “YES”は人生のパスワード』は『イエス』で人生を変える物語である。すべての誘いに対して、何かと理由をつけて断っていた主人公が、とあるセミナーでどんな出来事にも「イエス」と答える約束をさせられたのだ。最初は半信半疑だったが「ノー」と答えたことで不幸に見舞われ、すべての誘いに「イエス」と答えるようになった。

とはいえ、人間には限られた時間がある。誘いのすべてを受け入れるほど暇でない。時と場合によるが、誰かの誘いに対して「ノー」と答えるのは、至極まっとうである。

友人からの誘い、ライブ観戦の誘いなど、ありとあらゆる誘いを主人公はすべて「ノー」と断っていた。「ノー」の弊害は付き合いの悪いやつというレッテルを貼られる点である。次第に友人に見放され、誘いすらもなくなった。誰もが誘いを断られることに怯えているため、誘いにはすこしの勇気が生じる。付き合いの悪い人よりも付き合いがいい人を選ぶのは当然だ。

誰かの誘いは、いいことが起きるからもしれないし、不幸に見舞われるかもしれない。どんな誘いにも「イエス」と答えるには、かなりの勇気が要する。主人公はすべての誘いに「イエス」と答えることで、人生を変えたが「イエス」と答えることで、最愛の人に「どれがあなたの本当の意見かわからない」と見放されていた。これはセミナーで学んだことを、盲目的に信じた結果である。

その結果、何に「イエス」と答え、何に「ノー」と答えればいいのかを考える大切さを経験則で学んだ。物語はハッピーエンドを迎えたのだが、主人公が教えてくれたのは紛れもなく「自分の頭で考える」ことの大切さである。

人生を振り返ると、誘いを断ったことで失ったもの、誘いを受け入れたことで手に入れたものがある。すべてに「イエス」と答えている暇はないし、すべてに「ノー」と答えるのはもったいない。人生は想像以上に取捨選択を迫られるもので何を選んで、何を拒んで、取捨選択の繰り返しが現在や未来を形成する。そのため選択に抵抗を覚えるのも無理はない。

数多の経験を重ねることで、脳内に徐々に蓄積されるものがあって、時間の蓄積や経験が補うものは、考えなくてもできるようになるだ。朝に何度も歯磨きを繰り返してきたように、目が覚めた瞬間に何も考えなくても、歯を磨く選択をする的なやつが該当する。朝の歯磨きはやろうと思ってやっているのではなく、勝手にそうなっている状態と言っても過言ではない。もちろんこの領域に達するまでには、想像以上の努力と経験を要するが、達してからは世界の見え方がまるで違うのだ。

「人間は考える葦である」と、パスカルは言った。自分の頭で考え、必要であれば「イエス」と答える。その結果、不幸に見舞われたとしても、自分で選んだのだからと、納得して前に進む方法を模索するしかない。また「ノー」に関しても同じことが言える。すべては自分が決断した結果で、どんな結果であろうが、その環境を選んだのは自分自身だ。幸せになりたいのであれば、幸せになるための選択をすればいいし、不幸に見舞われたいのであれば、不幸になるための選択をすればいい。

決断に迷った場合は「イエス」と答えてもいいのかもしれないが、僕は心がワクワクするなら「イエス」と答えるようにしたい。大人になって自由が増えたが、そこには責任が付き纏う。どんな人生になろうが、すべての責任は自分にある。自分の頭でしっかり考え抜いた末に出た答えが、たとえ100点ではなかったしても、それはそれでいいと思える強さがほしい。


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