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恋人ごっこ

かつて、僕の生活の一部の加わった君がいた。そして、僕の生活からいなくなった君がいる。ただそれだけの話なのに、生活は随分退屈なものになってしまった。君がいなくなったから、生活が随分退屈になったのか。それとも元から生活が退屈だったのかはわからない。でも、君がいてもいなくても、日々は変わらず、回り続けるということだけは2年かけてようやく理解した。

朝、目が覚めて、寝ぼけ眼をこすりながらだるい体を無理矢理起こす。カーテンを開け、朝日を浴びながら、背伸びをする。顔を洗って、歯磨きをする。一連の流れはルーティン化され、休日以外は変わることなく、毎日をスタートさせる。

かつて、僕の横には君がいた。夜勤で疲れて眠る君を起こさないように、そっと神経質に、一挙手一投足を行う。物音を立てれば、「もううるさい。寝てるんだからもっとゆっくり動いてよ」と怒る君がいた。でも、今の生活には僕を怒る君はいない。そして、僕の生活にはもう君の寝顔はいない。

いつもなら朝食を2人分準備していたところが、1人分の朝食を用意するだけになった。1人分も2人分も手間はさほど変わらない。でも、2人分から1人分になることの気の持ちようが、ここまで変わると気づいたのは君がいなくなってからのことだった。

トーストにバターと苺ジャムを塗って、コーヒーと共に優雅な朝を過ごす。スマホで今日のニュースと株価を眺める。今日の占いをテレビで見て、1位の時は嬉しい気持ちで、最下位の時は決して信じず、ラッキーアイテムだけを持って家を出る。

寝ぼけ眼の君からのいってらっしゃいのキス。僕は拒むことなく君のキスに応じる。そして、駅まで歩き、満員電車に揺られ、いつも通り会社に出勤していた。でも、今は君がいない部屋に「いってきます」と言うだけの生活。空になった部屋に、空になった僕の心。虚無と現実を行ったり来たりして。心に空いた大きな穴を何かで満たそうとしては、君でしか満たせないと知って、さらにマイナス地点へと落下する。

仕事を頑張る理由すら見つからず、上司の言葉に適当に返事して、適当に怒られながら今日をやり抜く。営業先のお客さんが、奥さんの自慢話をするのを聞くのが好きだった。でも、今ではその自慢話は聞くに耐えられなくなって、「早く終われ」と祈るだけだった。

君が今まで自分の頑張る理由だったことを知った。人は大切な人や物ができたときに、本領を発揮する。でも、君を失った今、本領の発揮の仕方なんてとうの昔に忘れてしまった。仕事を終え、コンビニでコンビニ弁当と缶ビールを買って、帰宅する。帰宅が楽しみだった僕は、無心で働き、無心で空になった自分の部屋へ侵入するような感覚に陥っている。

君がいなくなってから随分外食も増えた。2人分を作るのも1人分を作るのもほとんど一緒なのに、自分のために自炊をするが僕にはできなかった。ご飯は誰かのために作るから美味しいもの。食べてくれる人を思い浮かべながら、ご飯を作るのが好きだった僕は、自分のためにはご飯を作れなくなっていた。

生活に必要なものを、記載するだけの役割を与えられたブラックボード。冷蔵庫に貼り付けて、生活の補填要項を記載する。買ったものを黒板消しで消して、また必要なものを記入するの繰り返し。その習慣も今ではすっかりなくなり、買い忘れが増え、生活必需品のない暮らしをしている。そして、ブラックボードに君が書いた文字が残ったまま。消す勇気も気力もないところが僕の弱いところだ。

君がいなくなった今も、君のものがまだ家の中にたくさんある。借りてた服はどうすればいいんだろうか。借りてた本は、借りてたCDの行方はどうなっていくんだろうか。君がかつては大切にしていたものは、もう用済みなんだろうか。用済みにされた僕と重なる。「残り物には福がある」と言うが、残り物はただの残り物でしかない。僕は残ることなく、君にいつまでも飼いならされていたかったってのが本音だ。

君がお気に入りだった音楽がシャッフルで勝手に流れる。アイドル歌手の良さがいまいちわからない僕に、必死に布教し続ける君がたまらなく愛しかった。でも、今では愛しい君が聞く音楽は、聞くに耐えなくなった。君の思い出と一緒で、聞くに耐えない音楽をいまだに残し続けている僕は、心のどこかでまだ君を求めているのであろう。

僕の生活には君がいない。ただそれだけのことが僕の胸を苦しめるのはなぜなんだろうか。もうやり直しが効かない2人は、出会う前に戻っただけ。でも、以前と違うのは思い出が残っているということ。僕たちは出会う前とは明らかに違う思い出を残した状態で、出会う前に戻った。そして、再び僕たちが出会い直すことはない。

かつて、僕の生活の一部の加わった君がいた。そして、僕の生活からいなくなった君がいる。かつては2人で遊んだ恋人ごっこ。ごっこ遊びは1人では成り立たず、君の幻影を追い続ける僕はただの愚か者。

ねえ、もう1度なんてなかったよ。そういう運命だったんだよ。終わったのは2人の話だけ。またやり直したいなんて絶対に思わないけど、どうかお元気で。さようなら。

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