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真面目過ぎる君へ

28年間どこに行っても「真面目だね」と言われる生き方をしてきた。不真面目よりは真面目のほうがかっこいいと思って、真面目に生きてきた恩恵である。そして、「真面目だね」はその生き方しかできなくなった贖罪でもある。

幼少期の頃、我が家は問題だらけだったので、出来るだけ問題を起こさないように必死だった。せめてじぶんだけでも親に迷惑をかけないでいようと考えた結果、「真面目に生きる」を選択したのだ。

成績は優秀。スポーツも最低限の基準はクリアし、友達も少なくはない。先生からの評価もよくて、親からの評価も高い。俗に言う優等生ってやつだ。

就活の面接でも面接官に「佐藤君は真面目すぎるね」と言われた。当時はその言葉の本当の意味をわからずに受け取っていたが、いまならその言葉の真意がわかる。

真面目は、不真面目よりも断然いい。でも、何事も度がすぎるとよくない。真面目と不真面目の両輪を担えるようになりたいけれど、どう足掻いても真面目になってしまう。

「適当に生きたい」とほざきながら、適当の基準上げに徹してきた。僕の適当の基準は、いつも他人から見れば、高い基準だったみたいだ。

気がつくと、僕の適当は世間一般の適当ではなくなっていた。

コピーを書いた時も「真面目すぎるからもう少し遊び心がほしい」と言われた。書いた文章にも性格が現れる。真面目すぎるのだ。遊びが足りていない証拠なんだろうね。

人はみな、生きづらさと生きやすさを抱える。生きやすさの数が多いほうが生きるのは楽だ。生きづらさを抱えると、最終的には呼吸困難に陥る。そうなる前に、誰かに救ってもらったり、自己解決をしたりする。

生きやすさを多く抱えている人は、じぶんを肯定する道に走る。人間はじぶんがかわいくて仕方がない生き物。僕も生きやすさを抱えるために、誰かを否定していることに気づかず、じぶんを肯定し続けているのがその証拠だ。

真面目な生き方しかできず、時に真面目な生き方に苦しむ。この無限ループから抜け出せないまま28年間生きてきた。

もう一生不真面目にはなれないのかもしれない。でも、不真面目よりも真面目のほうがかっこいいじゃん。真面目な生き方を誇ろうよ。真面目に頑張る人は、全員かっこいいのだ。

真面目な生き方しかできない人間は、真面目な生き方で暴れ回るしかない。真面目だと損をしてしまう場合もある。真面目は嫉妬の対象になりやすい。でも、嫉妬は頑張っているからされるもので、頑張っていない人には嫉妬なんてしないものだよ。

真面目で損したとしても、それはもう受け入れるしかないし、真面目なほうが最終的には得をする。真面目な生き方は、誰が見ても胸を張れる生き方だから、真面目なままで幸せを掴んでいこうね。


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