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不器用な自分を愛してよ

最近はちょっと疲れているのかもしれない。普段なら全く気にならないことが気になってしまう。カフェで店員さんがため息をついたときに「あ、自分の対応が悪かったのかな」とか、周りの人が活躍している姿を見たときに、自分は全然活躍できていないなぁと思ってしまう。

多分カフェの店員さんは自分が疲れているからほっと一息つくためにため息をついているはずだ。それなのに自分が何かしたかもしれないと思ってしまうのは完全に疲れている証拠だ。加えて、周りの人の活躍に焦ったって仕方がない。人間にはそれぞれ順番があって、順番が巡ってきて、活躍できるようきちんと準備することしかできない。なんて頭ではわかっているのに、心がそれを受け入れてくれないから心ってやつは本当に厄介である。

29歳という年齢は新人ではない。かといって中堅でもないし、なんと言われるのが正しいのだろう。もうそれすらも考えるのがめんどくさいや。何かを成し遂げるには十分な年齢だし、何も成し遂げていなかったとしてもまだ焦るほどではないような気もする。それでもやっぱり同年代が活躍する姿を見るのはやっぱり悔しいから負けず嫌いなんだろうなと思う。

自分ならもっとやれるはず。そう思っている自分は今でもここにいるし、結果を望んでいるのも確かで、現状とのギャップをいまだに受け入れられずにいる。

こういうときは缶チューハイを片手にくだらない話をするのが一番なんだと思う。それにしても最近は雑談が足りていない。どこに行っても仕事の話ばかりだ。将来の話で熱くなる夜とか、記憶がなくなるまで飲み明かすみたいなことが全然できていない。

毎日自分の考えを文章にしているくせに、まだまだ足りないと思っている自分がいる。言語化レベルはまだまだだし、これはいいと思える物語の構成すらも頭に思い浮かんでこない。もしかしたら適当な壁打ちとか、具体的なアドバイスをもらうとかそういうやつが足りていないのかもしれないね。

頑張りたいと思いはするものの、本音はありのままの自分を受け入れてほしい。それがとても難しいことなのは重々承知しているし、親しき仲にも礼儀ありって言葉があるぐらいだ。ありのままを受け入れてほしいだとか。誰かに許されたいとか、ダメな自分を愛してほしいとか願うのは少々おこがましいのかもしれない。

頑張りたいと思っているうちはまだ頑張れるんだろう。本当に苦しくなったときは文字にすることすら億劫になるし、大丈夫すらも言葉にできないものだ。

焦っても無駄とはわかりながらも、つい焦ってしまうのはもう仕方がない。心と体が一致することなんて滅多にないのだから。ダメな自分が誰かに愛されなくたって、せめて自分ぐらいはダメな自分を愛してあげたい。だって自分の最大の味方は自分なのだから。この不器用な自分すらも全部、全部愛してあげたいよな。

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