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『LIGHTHOUSE』若林さんの「飽きた」という発言が素直に羨ましいと思った

『LIGHTHOUSE』で若林さんが仕事に飽きたと言っていた。素直に羨ましいと思った。若林さんが言う「飽きた」はありとあらゆる場所で結果を出してやりたいことがなくなったという意味であり、決して逃げの言葉ではない。

『LIGHTHOUSE』は星野源さんとオードリーの若林正恭さんが、“悩み”をテーマにお互いの悩みを赤裸々に打ち明けていくNetflixのトークバラエティ。

まだ何も成し遂げていない自分には口が裂けても言えない言葉だ。若林さんは漫才やラジオ、エッセイなどたくさんの場所で活躍している。自分の夢が叶った瞬間に人は達成感を味わう。夢が日常に変わったその日から頂上まで登った山から降り始める。本来あったはずの飢えが充実へと変わり、それが不満足へと変わっていく。

だが、ほとんどの人が言う「飽きた」は夢を諦めるための逃げとして使われる場合が多い。夢が叶わないから「飽きた」と言って、やりたいことが逃げる。その言葉を使うのはあまりにも簡単で、僕自身も実力不足を痛感して使ったことが何度もある。何も成し遂げていない「飽きた」の裏にはいつだって「悔しい」が含まれていた。できないからつまらない。そこに価値を見出せずに逃げる理由ばかりを探す。いつしか人生に絶望するようになって、自分は才能のない人間だと前に進むことすらも拒み始める。

若林さんは「飽きた」と言った次の回で東京ドームを満員にするという夢が見つかったと話す。そして、人間は夢がないとダメになるねと話していた。その目には確かに力が宿っていて、イキイキしていたように見える。夢を叶えるとは、追いかけるものがなくなると同義だ。叶えたからこその悩みであり、そこから抜け出すにはまた新たな夢が必要となるのもまた事実である。

若林さんの変化を目にして、人間がダメにならないためには夢が必要なんだと改めて思った。僕は物書きとして、雑誌で連載を持ったり、小説を仕事にしたりしたいと思っている。だが、その夢は最近持ち始めたばかりで、まだ1つも叶っていない。まだ叶うかどうかはわからないけれど、夢を持っている自分は幸せなのかもしれないと思った。


若林さんが「飽きた」と言っている姿が羨ましいと素直に思った。自分の早くその域に達したい。だからこそ、実力を磨くためにもっと力を入れたいと思った。悩みに対して、本音をぶつけ合う『LIGHTHOUSE』は確かに僕の人生を照らしてくれた。きっとたくさんの人の灯台になっているのだろう。

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