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足が赴くままに春を味わう

朝、目が覚めてから散歩をする生活をずっと続けている。雨の日は断念する場合もあるけれど、晴れの日は毎日欠かさず行う。相棒のAirPodsを装着せず、街の音をBGMにして、なにも考えずいつものルートをただ歩くだけの行為。

春がまもなく本格的にやってくる。冬に街を彩っていたサザンカをすっかり見かけなくなった。その代わりに梅や桜、菜の花が花を咲かせている。今年は例年よりも桜の開花が早いように思う。

今年の造幣局の桜の通り抜けは抽選らしい。去年はコロナで行けなかったため、今年こそはと意気込んでいたんだけれど、抽選に申し込むのを忘れていたので、残念極まりない。一緒に行く人もいないし、まあいいか。

いろんな人たちが、インスタのストーリーで植物の投稿をしている。桜が中心に投稿をされているわけなんだけれど、植物好きな僕からすれば、みんなが植物に触れる時間が、増えているのが嬉しい。

暖かくなってきたからか、家の下の公園に、集まる野良猫の数が増えている。黒猫に、白猫。いつも見かける猫もちゃんといるから、姿を見かけるたびにホッとしているじぶんがいる。

いつも同じ時間に公園にやってきて、ぶらんこに乗る少女。猫に餌をやる老父婦。老夫婦が公園に来るたびに、野良猫たちの尻尾がビンと上に伸びる。猫たちの嬉しそうな姿を見るたびに、老夫婦は野良猫界の人気者なんだなと、勝手に頬が緩んでしまう。

公園のベンチで新聞を読むおじいさん。みんな服装が軽装になっているため、本格的な冬の終わりを感じてしまう。まだ夜は寒いけれど、日中はゴワゴワのコートは必要ない。ジャケットを羽織れば、事足りてしまう。

ただいつもと同じ場所を散歩をしているだけなのに、人や動物、自然のさまざまな顔を見ることができたり、季節の変化を肌で感じることができてしまう。これは季節や自然を余すことなく感じたいという思いもきっとある。

でも、季節の変化はたしかに起きているのだ。じぶんに余裕がなければ、季節の些細な変化に気づくことはできない。普段は仕事ばかりで息をつく暇をあまり作れていないため、このような些細な息抜きが非常に心を軽くするのだ。

街をぐるりと見渡す。鳥の鳴き声が聴こえる。街を少しずつ彩っていく植物。暖かくなって軽装になっている人々。いろんな変化の中、僕たちは生きている。

当たり前なのかもしれないけれど、いま、こうして生きていることをただ感謝したい。


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