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いつか「好き」は奪われるかもしれない

先日、とあるお店に行った。そのお店は完全個室で予約を取らなければ、入店すらできない。知っている人は知っている名店で、系列店もいくつかある。予約状況をお店のHPで見る限り人気店であることは間違いないし、お洒落な雰囲気は隠れ家にぴったりだ。料理とお酒の味もたしかで、これから先も客足は絶えないなんだろうと思った、

お店のことをSNSでみんなに伝えたい。僕はそう思った。でも、恋人は好きなお店は誰にも知られたくないと言った。彼女が好きに対してきちんと向き合うその姿勢がなぜか眩しく見えた。だから、僕は恋人と行ったお店のことをSNSに書かなかった。

好きだから知ってほしい。好きだから知ってほしくない。僕と彼女の感性は、まるで真逆の感性である。どちらも好きな気持ちは変わらないし、そこに優劣はない。自分の感性を守れるのは自分だけである。だから、お互いの感性を大切にすればいいと思った。

好きなものは人目に晒される時間が多くなればなるほど、たくさんの人が好きになる確率と嫌いにな確率が高くなる。そのため、好きなものは奪われるかもしれないと怯える人もいるのだろう。好きなものを奪われるのは辛い。好きの度合いが大きくなればばるほどに、失ったあとの喪失感は大きい。

好きなものを守るために、人は試行錯誤をするけれど、失うときは簡単に失ってしまう。出会いと別れを繰り返すのは人生。なんてそんなに簡単に割り切れるわけでもないため、感情ってやつは厄介なのである。

最近、好きなアーティストが楽曲のサブスクを解禁した。絶対に楽曲のサブスクを解禁しないと思っていたアーティストだったため、彼らの決断と発表には、正直戸惑いがあった。それでもMステでミスチルのあとを任されたのは大抜擢だと思ったし、彼らの音楽がやっと地上波に届くと胸が熱くなったことは事実だ。

好きなアーティストの広告は絶対に見たい。彼らのサブスク解禁のニュースを耳にした僕は、さっそく渋谷に足を運んだ。

渋谷の駅前に広告を掲載すると聞いていたため、広告の内容が「渋谷駅前は今日もうるさい」だったらシチュエーションと合って最高じゃんと思ったけれど、掲載された内容は彼らの代表曲である『真赤』の歌詞だった。大人の事情がそこにはあるのかもしれない。まあ、そんなことはどうでもいいか。うれしいことに変わりない。

うれしいニュースが目に入ったその一方で先日、ボーカルのインスタで歌詞にクレームが来て、予定よりも早く広告が撤去されるというストーリーを見た。

残念だと思った反面、正直ちょっとホッとした僕はファン失格なのかもしれない。好きなアーティストが売れるのは本当にうれしい。サブスクが解禁されたニュースを見て、彼らの音楽がたくさんの人に届く!と喜んだし、これからどんな活躍をするんだろうとワクワクした。彼らの今後に期待しているし、いま以上に活躍することを心から願っている。

でも、人気になりすぎると手が届かない場所に行ってしまうんじゃないかと不安になっている自分がいた。ファンのただのエゴである。人気が出た途端に、好きだったアーティストに興味がなくなるという話はこれまでに何度も聞いた覚えがある。

相手は距離が遠くなるとは考えていないし、そもそも最初から距離は遠い。勝手に近づいた気になって、期待するだけ期待して、遠くに行った瞬間に勝手に絶望する。なんて身勝手なのだろうか。

好きなアーティストのサブスク解禁を知って、好きなものを人に教えたくないという彼女の感性が少し分かった気がする。好きなものを誰にも奪われたくないし、とことんまでに独り占めしたい。僕の中にも好きなものを奪われたくないという感情がちゃんとあった。

いつか「好き」は奪われるかもしれない。応援しているアーティストもいつかは解散する。それがいつかはわからないけれど、ひとつだけ間違いなく言えることは、推しは推せるときに推せということだ。好きだからこそ、自分ができる形で応援する。

自分が好きなものに対して、手を伸ばせば届きそうだとか、手が届かないなんてもはやどうでもいい。好きなものを好きだと思える感性を大切にしたい。そして、これからも好きなものを大切にできる人間でありたい。

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