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たとえ無力だとしても

僕は無力だ。

好きな人が困っている時に気づくことができないし、友人が悩んでいる時に気づけないこともある。

目の前にいる人の心の中を読むことができない。

人の心の中は読みたくても読めない。簡単に人の心の中を読むことができる方法があれば良いのにね。

誰かのためにしたことが仇になったこともある。

結局のところ自分が救われたいだけなのかもね。

誰かを救おうとして、救った気になって、満足している自分をなんども見てきた。

自分の気持ちがわからないこともあるのに、他人の心の中がわからないのは当然のことなのかもしれない。

「誰かのことを救いたい」

とっても素敵なことだと思う。

他人に批判されようが、そんなもんは関係ない。

でも目の前の人のことさえ救えないことが多いこの世界。

目の前の人に何かしてやれたんだろうか。

なんで気付いてやれなかったんだろうか。

後悔という言葉ばかりが脳内に焼き付いて離れない。

それでも生きていくしかないし、答えなんてすぐに出せないのが現実だ。

「自分さえ救えない奴が何を言ってんだ」

外野は黙ってろ。うるせぇよ。そういうの今はほんといらないから。黙ってろ。

誰かを救おうとしているその姿は立派なもんじゃないか。

誰かを救うのは自分のためで、救われたいのは本当は自分自身なのかもしれない。

それで良い。誰かのためじゃなくて、自分本位で良いじゃないか。

なぁお前だってそうだろ?誰のために生きてんの?自分のためでしょ?

それで良いし、そうであってほしいんだよ。誰かのためでなく、自分のために生きれば良いよ。なんにも悪いことではないよ。

人は無力だ。

誰かが悩んでいる時に、一発で元気にしてあげられる魔法の言葉なんてものは存在しない。

僕が知らないだけで、魔法の言葉は存在するのかもね。

もしもそんな魔法のような言葉があったのなら、ぜひともこっそり教えておくれよ。

今まで26年間生きてきて、出会わなかった言葉。出会えなかった言葉。出会ってしまった言葉。

いろんな言葉と向き合って、言葉中心に僕は生きながらえてきた。

言葉は人を殺しも生かしもする。

なるべく傷つけないようにと、自分の脳内から言葉を選ぶ。

それでも傷つけてしまうときがあるから、後悔と謝罪の気持ちでいっぱいになる。

後悔で死にたくなる時もある。それでも死を選ぶことなく生きていくしかない。

後悔という感情も、嬉しいという感情も、全部全部持って生きていくしかない。

死ぬことは怖いこと。

まだまだ生きていたいし、死ぬまでは生きていたい。

人生にかすかな希望を。そして、ほんの少しの勇気を。

希望を抱きながら生きていても、絶望に苛まれる時がある。

希望と絶望が混在したこの世界。

一喜一憂しながら、時に無力だと思い知りながらこれからも生きていく。

もしも絶望のシャワーが降ってきたら、希望という傘を差して、自分の身を守ってあげてね。

人は誰かに抱きしめられた時に、救われることがある。

抱きしめてもらえる存在が、もし目の前にいれば、救われる命があったかもしれない。

言葉は無力かもしれないけど、たった一発の抱擁が、全てを変えてしまうこともある。

目の前の人に抱擁とキスを。それだけで救われる人がいるのも事実だ。

「たられば」なんて人生にはない。結果だけが全てだ。

人は無力じゃないのかもしれない。目の前にいる人のことを大切に。

希望を抱こう。

そして、たまにくる絶望に対して、希望で対抗してやろうと思うんだ。

かすかに見える一筋の光を目指して、生きていくしかない。

死んだらそれでおしまいだ。生きろ。生きて生を全うしろ。

人は基本的には無力だ。でもあなたの存在が誰かを救う時もある。

だから自分の命が無駄だなんて思わないでほしい。

たまにくる絶望と向き合い続けるのが人生だ。

生きる意味なんて見出せなくて良いし、何度落ち込んだっていい。

落ち込んだその度に、立ち上がれるように。困っている人に無条件で手を差し伸べられるように。

目の前の人をちゃんと大切にしよう。

たとえ無力だとしてもできることは絶対にあるから、自分ができることをきちんとやっていけばいく。

今日は僕自身が救われるための文章を書いた。

また前を向いていける。文章を書くのはストレス解消にもなる。

公開するか迷ったけど、これも自分なので、きちんと公開することにした。

ありがとう。文章。僕はあなたに救われてる。これからもよろしくね。

ありがとうございます٩( 'ω' )و活動資金に充てさせて頂きます!あなたに良いことがありますように!