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性格の悪い友達とは会わなければいいけど、性格の悪い自分とは別れられない

これは「大豆田とわ子と三人の元夫」の台詞である。最近いろんな人に勧められて、この作品を観ている。元妻と三人の元夫の関係性を描いた物語。本作はストーリーもいい。それよりもとにかく刺さる台詞が多くて、ついメモを取りながら観たくなる。名台詞を全部紹介したいんところなんだけれど、今回はこの台詞を聞いて感じたことを自分のためにメモとして残しておきたい。

「性格の悪い友達とは会わなければいいけど、性格の悪い自分とは別れられない」

この台詞を聞いたときに、あまりにも胸に刺さりすぎて、思わず何度も聞き直してしまった。そうなんだよなぁ。性格の悪い友達とは会わなければ、傷つくこともないし、嫌な感情を抱くこともない。これに関しては、自分でコントロール、もできる。でも、性格の悪い自分とは別れたくても別れられないし、うまくコントロールもできない。

どれだけ性格を良くしようと思っても、性格の悪い自分は出てきてしまう。性格の悪い自分が出てくるのは、基本的には嫌な出来事に直面したときや、疲れてしまっているときだ。そして、性格の悪い自分と出会うたびに、嫌な気持ちと情けない気持ちが同時に襲ってくる。

それに加え、同じ出来事が起きたとしても、性格が悪い自分が出てこない場合もあるから厄介なのだ。そう、どんなタイミングで性格の悪い自分が出てくるが予期できないのだ。だからこそ、生きるって難しいって何度も思ってしまう。

性格のいい自分になろうと思えば思うほど、性格の悪い自分がどんどん露呈してしまって、「あれ?自分ってこんなに性格が悪かったっけ?」って自分を責めたくなる。もう性格の悪い自分と別れるのは無理なんじゃないか。どうせならこの醜さを抱えていこうと開き直ってしまう場合もある。

自分の醜い部分はすべて消してしまいたい。でも、それは無理な話だ。どんな性格の自分とも死ぬまで一生付き合っていかなければならない。だからこそ、どんな自分もうまく愛せるように、生きる必要がある。この生き方の難易度の高さは知っているけれど、自己受容は生きる上で大切な要素だから、嫌な性格が出るのは仕方ないと少しずつ受け入れられる人間になりたい。

性格の悪い自分が出てくるのも、たまには悪くない。「だって、人間だもの」と、相田みつをさんばりのテンションで生きられるような軽さを持っていたいと思う。

本音を言えば、もっと早く「大豆田とわ子と三人の元夫」を観れば良かったと後悔しているけれど、いまこのタイミングで観たからこそ、自分に刺さる台詞があったのかもしれない。そう考えると、後悔はどこかへ吹っ飛んでしまった。この作品を観て、生きづらさから救われている人も多いんじゃないかな。

生きづらさを抱え、まだ観ていない人はぜひ一度観てほしい。きっと生きづらさを少し解消するヒントが隠されているはずだ。


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