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『終わり』はいつも「寂しさ」を連れてやってくる

どんな物事にも必ず終わりがやってくる。そう頭でわかっているつもりでも、終わりはいつまでたっても好きになれない。終わりを迎えるたびに、儚い気持ちになるし、『もう少し何かできたのかな』と後悔の気持ちに襲われる。

終わりを迎えれば、また何かが始まるのはわかっている。これから始まるものに期待をふくらませられればそれで良いんだけど、何が始まるかは実際に出会ってみなければわからないんだよね。

終わらせるために始まるのが儚いし、なぜ終わりを迎えるのかが不思議でならない。ずっと続けば良いのにって願うものからいつも終わっていくから神様は少しだけ意地悪なのかもしれないね。

どんな物事も、永遠に続かないのはわかっている。でも過去は永遠に残るから、『永遠ってなんだろう?』っていつも考えるんだけど、答えは出てこないまま。

終わりを迎える瞬間は、走馬灯のように今までの思い出が脳内を駆け巡る。楽しい思い出や悲しい思い出、どんな思い出もなぜか終わりを迎える前は全て美しく見えてしまうのはなぜだろうか。

すでに終わってしまったものは、思い出として頭の片隅に残しておくことでしか報われることはない。報われない思いがあるのは少し寂しいような気がするから、すべての終わりを噛み締められる人間でありたいってのが本音

物事が永遠に続くのであれば、僕たちはきっと目の前の対象を大事に思えないだろう。終わりがあるから愛せるし、嫌いにもなれる。だから終わりを悲観的に捉えるのではなく、前を向くための前進だと捉えるようにしていたい。

終わりはいつも『寂しさ』を連れてやってくるから、いつまでたっても慣れないし、この『寂しさ』とはこれから先なんども出会うのであろう。

でも、終わりは何かを意味するものだから、終わりをきちんと愛せるそんな人間でありたいね。


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