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誰のためにならないただの日記

今日は誰のためにもならない単なる日記を書いていく。

僕はベーチェット病という難病を去年の9月に発症した。

病院に定期的に通い続け、もう半年が経つのか。あまりにも早いものだねぇ。

あの当時は死にたくなるぐらい辛かった。今思い返しても大変だったなと思う。笑い話で済ませることができるぐらいには消化できるようになったから良かったなって。

病気になった時、知り合いに「もっとしんどい人いるよ」と言われたことがある。その人の中では励ましの言葉だったんだろうけど、その言葉は当時の僕にはなんの救いの言葉にもならなかった。むしろ自分を追い込む言葉にしかならなかったんだよ。

今では「そうだよな。もっとしんどい人が世の中にはたくさんいる」と納得することができるけど、当時は受け入れることができなかったんだよなぁ。

だって辛い心境の中で、「もっとしんどい人がいるよ」と言われても、「知るか」って思うだけ。僕の心には何も刺さりやしない。

自分が苦しんでいるときに周りの人のことを考える余裕なんてなかった。自分の世界の中で一番不幸だったのは間違いなく僕自身だったからね。

優しさという名の暴力みたいなあの発言を聞くぐらいなら同情してもらえる方が幾分かましだと本気で思っていた。

今も病院に定期通院しているんだけど本当に色々あった。

目に光を当てられすぎて吐いてしまったり、診察中にあまりの気持ち悪さに歩けなくなり、看護師さんに車椅子に乗せられて移動したり、白目に注射をしたりもした。

治療の甲斐もあって今では普通の生活を送ることができている。あのときに支えてくれた人には感謝の言葉しかない。1人で生きているんじゃないんだなって本気で思ったし、病気の発症によって僕は良い風に変われたと思う。

今は調子が良い時もあれば、悪いこともあって、最近は少しだけ調子が悪い。でも発症当時の辛さに比べるとはるかにましだ。

とはいえ健康体ではなく、目にもやがあるから周りが霞んで見えにくいこともあるし、今文章を書いているこの時も、口内炎が口の中に6つぐらいできている。

難病になって早半年という月日が経つ。あの当時は死にたくなるぐらいつらかったけど、生きていれば良いことはたくさん起きる。辛いことも文章化してしまえば、少しだけ心が軽くなるし、こんな人間もいるんだよと今辛い人や悩んでる人に少しでも届けば良いなって。

僕自身も発症当初に比べると強くなったもんだなって思う。

たまには誰のためにもならない自分のための文章を書くのも悪かないなって思えたのは少し進歩なのかもしれない。

これまでずっと誰かのためになるそんな文章を書くということを頭の中に入れて文章と向き合っていた。自分のことを考えず、誰かのことを考えるだけで、一番優しくしないといけない自分を大切にしてこなかった。

たまには自分のための文章を書いても良いだろう。だってここは自己満足の世界なんだから、全ての文章が誰かのためじゃなくても良い。

今回は誰のためでもなく、自分のために自分の過去を昇華するための文章を書いた。何が言いたいのかわからなくなってきたからこの辺で締めにしよう。

おしまい。



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