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物事に過剰に反応して気疲れしている人へ

悲しいニュースが流れたとき、友人が活躍したと聞いたとき、噂話を聞いてしまったとき、いつも過剰に反応してしまうじぶんがいる。

身近な人や好きな芸能人が亡くなったときは、その日はなにも手につかない。まるで世界が終わったような感覚。もうその人を見ることはないのかと思うとやり切れなくなる。

「いちいち気にしすぎだよ。過剰に反応しすぎると疲れない?わたしには無理だ」

とある友人と話しているときに、こんな言葉をかけられた。

たしかに物事にいちいち反応するのは疲れてしまう。そして、そんな生活が続いている事実に、気疲れしている。もっと鈍感な人間になりたい。そして、すぐに切り替えられたらいいのにと思ってはいるものの、思ったよりもうまくはいかない。

じぶんに関係ないことだから、考えなくてもいいのかもしれない。敏感すぎる性格を変えようと、過剰に反応しないように努力したこともある。でも、1度妄想が膨らむともうダメだ。考えすぎだと頭ではわかっているけれど、体がそこに追いつかない。

物事に過剰に反応しない人を見るたびに、「いいなぁ」とうらやましく思うし、「なんでそんなにあっさり切り替えられるの?」と疑問を抱いてしまう。起きた出来事にいちいち反応しない人間になりたいのだけれど、無理なものは無理だ。

でもただ諦めるだけじゃ後ろ向きになるだけだから、鈍感になることを諦めた代わりに、過剰に反応してしまうことのメリットを考えた。

まず物事を、深く味わうことができること。悲しい出来事が起これば、ちゃんと悲しめるし、嬉しい出来事も深く喜びを味わうことができる。過剰に反応してしまうのは、妄想が膨らむからで、それは物書きにとってはもってこいの性質だ。

その証拠に妄想を、エッセイとして書くこともできている。なんだ。起きた出来事を深く味わえるって素敵じゃんか。そう思えた瞬間にじぶんを変える必要はないと安堵してしまった。

物事に敏感に反応してしまう人で、じぶんを変えたいと思っている人は多いはずだ。じぶんを変える努力は、もちろん必要なのかもしれない。でも、いくら頑張っても、じぶんを変えられないのであれば、いまのじぶんでいるメリットを1度考えてみてほしい。

思っているよりもいまのじぶんが悪くないと思えたなら、無理にじぶんを変えるのではなく、どうすれば生きやすいかを考えればいいんじゃないかな?

物事に、過剰に反応してしまう人生もそんなに悪くない。人生を深く味わい、生きていてよかったと思えるそんな1日を少しでも多く過ごせるといいね。

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