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悔しさはいい方向へと導く

周りの人たちが結果を出すたびに、「ああ、悔しいなぁ」と思ってしまう。悔しさを抱えたときに、人は人、自分は自分とすぐに切り替えられれば、楽だけれど、実際はそんなにうまくいかない。

とはいえ、悔しさを抱える行為は悪い行為ではない。悔しさは成長の糧にすればいいし、悔しさがあるから成長できる場合だってある。でも、悔しさを悪い行為にしてしまう場合もある。それは悔しさが嫉妬に変わったり、「自分はダメダメだ」と自己嫌悪に陥ってしまう場合だ。

「人は人、自分は自分だから切り替えよう」となれば楽なんだけれど、人間の感情というものはそんなに聞き分けがよくない、めんどくさいなと思いながらも、この聞き分けのよくない感情とは一生付き合っていく必要がある。

では、どうすれば悔しさを成長のバネへと変換できるのか。それは相手のいいところを素直に吸収してみることだと思う。そして、自分に何が足りないのかをきちんと知ることだ。

人間はプライドの高い生き物だから、自分に何が足りないかを客観視したがらない。そこに成長のタネがあるのに、変なプライドが邪魔をする。そして、誰もがオリジナリティを追求したいものだから、相手のいいところを取り入れるのではなく、自分のやり方を信じている。

そのプライドは成長を妨げるのものか。それとも成長を促進するものなのかを1度自身を振り返ってみてほしい。成長することにプライドを持てば、自身の足りないものを客観視できるし、相手のいいところを吸収できてしまう。

でも、周りとは嫌だと言って、じぶんを客観視しない、他人のいいところを真似しない行為は、自分の成長を妨げる邪魔なプライドだ。悔しさをバネにするためには、相手のいいところを真似したり、自分に足りないものを客観視する必要がある。

たとえば文章でいえば、文章の模写をしてみて、文章の構成がいいなと思ったらその構成を真似してみればいい。内容を真似するのはダメだからあくまで構成を真似してみる。それでダメならちがう言い回しを取り入れてみたり、とにかく試行錯誤を繰り返すことが重要だ。そうやって、結果を出している人に少しずつ食らいついていけばいい。

周りの人たちが結果を出すと焦ってしまう。その気持ちは十分に理解できるし、僕も同じ気持ちを抱えては自己嫌悪に陥る。でも悔しさのない人生はあまりにも寂しいから、悔しい気持ちは悪い行為じゃない。

そんなときは自分に何が足りないのか。そして、相手のいいところはどこなのか。1度立ち止まって、自分なりに考えてみる。悔しさを正しい方向に導いて、成長の大きなバネにしていこうね。

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