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毎日更新が4年になっていた。悔しさを燃料に変えて今後も書き続けたい

毎日更新仲間のあやめしさんの毎日更新が5年を迎えたという記事を読んだ。一つの物事を5年間もやり通すその気概と行動力を素直にすごいと思った。今後も更新を楽しみにしているし、彼女の活躍に刺激を受けながら自身もいい文章を書けるよう努力し続けたい。

自身の毎日更新の日数を数えてみると、とっくに4年を超えていた。本日で毎日更新が1488日を迎えるため、1ヶ月近くも気づかなかったということだ。気づけなかった事実に少しの落胆はあれど、自身にとって更新年数が評価の指標にはならないという気づきもあった。4年間の継続を達成した事実に気づいたときも、「ああ、そうなのか」ぐらいの感覚だった。もっと素直に喜ぶはずだったのに、自身の中に芽生えるはずだった喜びの感情が体のどこを探しても見当たらない。捻くれ者の行く末に明るい未来はやって来るのだろうかとも思った。

もしかしたら他人からすれば、4年も毎日欠かさずに文章を書き続けている姿は異常に映るかもしれない。だが、書いている本人にとっては、単なる積み重ねに過ぎない。習慣になるまでは苦労もあったが、今となっては歯磨きをするような感覚で書くことができている。習慣化ができた弊害をまんまと浴びていることが何よりも悲しく思う。

この4年間でいくつか仕事に繋がったものの、大きな結果を残せたわけでもないし、何かの賞を勝ち得たわけでもない。トータルで見れば、ほぼ無風に終わったような気もする。そこまで言うのは流石に自分に失礼過ぎるか。

ただ毎日積み上げただけと口にするのは可哀想に思えるかもしれないが、納得のいく結果を何一つとして出せなかったのは、紛れもなく事実だ。この4年間をひとことで表すならば、悔しいに尽きる。もっとできると思っていた自分が恥ずかしいし、それでもまだ可能性を捨てきれないでいる拙さがもどかしくてたまらない。

SNSやnoteには自分よりも書く歴が浅いのに、どんどん結果を出している人がいる。それが悔しくてたまらない。お前はこの4年間一体何をしていたんだと叱責したくなるし、自身の文章力のなさに苦しくなる。

ああ、まだ自分の中に悔しいという感情はあったのか。だったらまだ書き続けられそうだ。日の目を浴びる日がいつになろうが、悔しさを燃料に変えて、この先もずっと書き続けたい。そうだ、これは今後は結果を出せるように書くという戒めだ。どれだけ時間が掛かってもいい。諦めずにやり続けることだけが、自身の心を守る最後の砦だ。


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