すべては不可逆的な人生

あれは言わなきゃ良かったとか、もっといい伝え方があったとか、後悔の渦に飲み込まれた過去が数えきれないほどある。取り返しのつかない失敗はどれだけ前向きに解釈しても、プラスにならず、マイナスが0になる程度だ。失敗を糧にして、前に進める人の割合はどれほどいるのだろうか。なんて、答えを知ったところで、何もプラスにならないからどうでもいいか。

言葉は一度口から出てしまえば、2度と取り戻しようのない凶器、あるいはお守りのようなものだ。どんなときも言葉を選んでいるつもりだけれど、それが相手が欲しがる言葉だとは限らないし、思いがけない場面で感謝されたり、怒られたりする場合もある。

言葉は言い方によっても伝わり方が変わるから、取り扱いに慎重にならざるを得ない。ありがとう」は基本的にいいものとされているけれど、そっけない態度で伝える「ありがとう」は相手に不快感を与える場合があるため、言い方には十分に気をつけなければならない。

どんな人間も気分によって言葉の受け取り方が変わってしまうものだ。疲れているときに言われる「お疲れさま」はありがたいもので、頑張っているときに言われる「頑張れ」は余計なプレッシャーになる場合があるし、何も言わずただ見守るが相手にとって救いになる場合も多々ある。

時と場合によるだなんて見極めが難しいから、顔にでも書いておいてほしい。もしくは今日は前向きな言葉をちょうだいとか、あらかじめ指し示しておいてくれた方が、世の中の衝突が案割かは減るかもしれない。

ある人が言った好きは最初から嘘で、好きになりたいと願いを込めた上で口にした言葉だったのかもしれない。そう考えると愛おしくもなるけれど、最初から嘘にしかならない言葉は、やっぱり相手を傷つけるだけで、世の中にはやさしい嘘なんかないのかもしれないとさえ思ってしまう。

嫌いは好きの裏返し、会いたくないは会いたいの裏返し、ほっといては向き合っての裏返し、頑張っては無理しないでの裏返し、大丈夫は助けての裏返し。言葉の奥底にある本音は、いつだって音にしにくいもので構成されている。言葉の裏返しの意図に気づける人はやはり重宝されるし、きっとたくさんの人を傷つけたり、傷つけられたりした人なんだろう。

嘘と本当。ずっと一緒はいつも嘘になったし、好きも愛してるもいつしか嘘になってしまった。描きたかった未来は遥か彼方へ、こんなはずじゃなかった現在が胸を酷く締め付ける。失ってから気づくなんて馬鹿だと思いながらも、何度も同じ過ちを繰り返してしまうから、馬鹿につける薬はないと言われても仕方がない。

本音と建前。口に出した夢はたくさんの人に笑われて、いつしか建前を並べるのが上手になった。それはつまり自分を守るための言い訳であり、実際は自分を傷つけている事実からはずっと目を逸らしてばかり。誰かによく思われたいという自己顕示欲は、醜い花を咲かせてきた。苦い経験をしてもなお、本音と建前の繰り返しをずっとやめられずにいる。

言葉は刃物、言葉はお守り。どちらが正解かなんてわからないけれど、生きている以上はずっと付き合っていく必要があるってことだけはわかる。生きやすさも生きにくさも言葉によって生まれるのだとしたら、もう言葉に頼る必要なんてないのかもしれない。いつか僕らは離ればなれ。それだけは変わりようのない事実なのだから。

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