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29歳になった。人生は美しい

6月16日。29歳になった。

ありきたりな日常の延長戦に、誰かが生まれた。ただそれだけのこと。それ以上でも以下でもない。でも、誰かにとっては特別で、誰かにとっては来て欲しくない日でもあるのだ。

18歳のときに、死に向かっていく記念日を、人はなぜわざわざ祝うのだろうかと疑問を抱いていた。そして、「大人になってなにも楽しいことがなければ、死んでしまおう」なんて言葉を1枚のノートに書いていた、そんな勇気もないくせに、言葉だけは一丁前だった。

大人になるたびに、見たくないものも増える。できないことも露呈してしまう。なによりも楽しそうな大人などいない。大人になんてなりたくなかったし、一生子どものままでいいと思っていた。

でも大人になってみて、大人は楽しいと気がついた。誕生日を祝ってもらえる事実が嬉しいし、そのときばかりは主人公になった気持ちになれる。大人になってからもやりたいことばかりやっている。夢を見るじぶんが嫌になる日もあるし、誇らしく思える日もある。やりたいを追いかけ続けるのはとても大変だ。でも、できる喜びに出会えたり、友達が増えたり、宝物だと思えるものもたくさん増えた。


天気は雨ときどきくもり。紫陽花につく水滴がとても綺麗だ。今日の雨は少しも嫌な気がしないし、雨音がやけに心地いい。いつもと変わらない日常。朝目が覚めてからずっと仕事ばかりしているし、あいも変わらず仕事まみれの日々だ。そんなありきたりな日常の延長線上に、29歳の誕生日を迎えた、

もう少しで20代が終わるなんてまったく想像もできないし、おそらく30歳になったときも同じ言葉を発しているだろう。でも、30歳を迎えたときに、どんな人間になっているのかは楽しみでもある。想像どおりの人間になれていたら嬉しい。もし想像どおりじゃなかったとしても、巻き返しを図るための作戦会議を設ける。逆境はいつだってチャンスで、ピンチを乗り越えるたに、大きなものを手に入れてきた。

せっかくの機会なので、28歳の1年間を少し振り返ってみよう。


1番大きな出来事は、やはり難病の治療のために、手術入院したことだ。たった2週間の日々は、健康のありがたさや不自由の辛さをただただ痛感する日々だった。もっと好きなことをやりたいと思えたし、死ぬまではちゃんと生きると決心した日々でもあった。国から指定難病の認定も下りたので、これから本格的な治療が始まる。不安もあるけれど、うまく付き合えたらいいな。

そして、28歳は2週間の東京、熱海の旅を経験した。東京はやっぱり大きくて、人もたくさんいるし、情報の流れも速い。建物はどれも高いし、おしゃれなものが多い。じぶんの小ささをこれでもかと言わんばかりに思い知らされた。

東京はうかうかしていると、じぶんの席があっという間に誰かに取られてしまう。結果を出すために必死になっている人が多いし、日の目を浴びることなく、目が死んでいる人も多かった。

逆に熱海はのどかで日常がとてもゆっくりすぎていくような感覚があった。ご飯も美味しいし、陽気な人が多く、日々をただ楽しむ人が多かったような気がする。

2週間の旅の1番の気づきは、旅をしながら仕事をするは大変だということ。連日人と会い、観光をし、その合間に原稿を書く。1日が36時間欲しかったし、この生活は自分に合わないと実感した。ずっと旅をしながら仕事をしている人を尊敬する2週間だった。

次に仕事について振り返る。


28歳はエッセイを書き始めた年でもあるし、編集やコピーを書き始めた年でもある。少しずつ自分の武器が増えてきた。でも、まだまだ足りない。どれも中途半端だし、胸を張ってこれだと言えるものがまだなにもない。

もちろんフリーランスとして、生きている自信はついてきたけれど、上を見るたびに、まだまだと思わされるし、そっちの世界に行きたいと思ってしまう。

現状に満足なんてできないし、満足してしまったらそれで終わりなんだろう。やりたいことはまだまだたくさんあるし、実現したい未来だってある。ときに選択を間違える場合もあるだろうけれど、反省材料が増えたと前向きに解釈して、実現したい未来に向かって、目の前のことに愚直に、丁寧にやっていく。


29歳は20代のラストイヤーだから楽しい1年にしたい。

モットーは「だらけきった正義」だ。真面目とおふざけの両立をして、かっこいいと思ってもらえるそんな生き方を模索していく。新しいことに挑戦というよりかは、いま挑戦している分野を伸ばしていこう。そして、笑顔で30歳を迎えられればいいな。

29歳のじぶんをみなさんどうぞよろしくお願いします。


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