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晴れた昼下がりの公園で乾杯を

よく晴れた昼下がり、ドーナツを買って公園で食べた。コーラもお供にして、太陽の光を浴びながら夢中になって食べた。お腹が少しずつ膨れていく。それにともなって気持ちもどんどん膨れていった。ドーナツを食べることができてうれしいとか、公園で太陽の光を浴びながらぼーっとするのが楽しいとか、そういう気持ちである。

最近は目まぐるしい日々に忙殺されがちだ。起きているときはずっと仕事のことばかりを考え、夢にまで仕事が出てくる始末。仕事を頑張りたいと思っているため、嫌な気分にはならない。むしろやる気がむくむくと湧いてくる。それでも休むに休めないこの状況に少しずつ体が軋んでいく音が聞こえるのはたしかだ。

昨日関わっている事業で「どんなことがしたい?」と聞かれて、何も答えられない自分がいた。就職面接や社内の面談、友達との飲み会など、どこに行っても何がやりたいのかを聞かれるような気がする。やりたいことが何もないことは悪なのだろうかと思えるくらいに。

そもそもやりたいことが明確な人は少ないと思う。世界を変えたいとか、何かの賞を取りたいとか。使命感を持って生きている人はもっと少ない。大半の人が大人になって、自分の夢を少しずつ忘れていく。それは諦めに近いものかもしれないけれど、実際の話は身の丈にあった生活をする決意をした証拠である。良し悪しは本人が決めるもの。他人がとやかくいう権利はない。

やりたいことを聞かれたときに、晴れた昼下がりに公園でドーナツを食べたいなんて言ってしまったらきっと笑われるだろう。だから僕は何も答えずにいる。

仕事で何かを成し遂げたいって気持ちは立派だけれど、何かを成し遂げたときに、自分のしたいことができていなければ何の意味もない。仕事は所詮、人生の一部である。仕事で達成したいことよりも、どんな生き方をしたいが大切なんだと思う。

だからといって、仕事で結果を出したくないわけではない。携わっているクライアントさんの売り上げアップに文章で貢献したいし、エッセイや小説で結果を出したい。その一方で、好きな人たちと仕事ができていたらそれでいいと思っている。もちろんお金も稼いでいく。それは自分や身の回りの人たちのためで、見栄を張りたいわけではない。でもそれらを成し得なくとも、僕は晴れた昼下がりの公園で、太陽の光を浴びながらコーラで乾杯して、ドーナツを食べる生活をずっと営んでいたい

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