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過去に思いを馳せる

「学生時代の友人はいま何をしているんだろうか?」

先日、社会人になってから出会った友人とこんな話になった。僕の学生時代の友人には、会社で働いている人や主婦になっている人、学校の先生をやっている人などさまざまな人がいる。学校を卒業してからも、ずっと会う機会がある友人もいれば、卒業してからは一度も会わずに、疎遠になってしまった人も中にはいる。

でもまあ元気でやってるならそれでいいよね。学生時代はあんなに尖っていた友人が、いまは会社員として働いている。働き方に関してはいいとか悪いはない。じぶんに合った働き方で働くのが1番だ。

社会人になった友人を見るたびに、みんな大人になってしまったんだなぁと少し寂しいような嬉しいような複雑な思いを抱いてしまう。その証拠に、友人のSNSの投稿には、子どもと一緒に写っている写真が増えた。

昔は喧嘩が強いが正義だと勘違いして、他校の生徒と喧嘩して、あんなに先生に怒られていた友人もいまでは立派にお父さんになっている。すごいなと思う一方で、大丈夫かよと少し心配になる。余計なお世話だよって話なんだけれど、昔を知っているからこそ、心配になってしまうんだよね。

そして、学生時代はSNSに、鍵を掛けていた友人なんてほとんどいなかった。でも、友人のほとんどがSNSに鍵を掛けるようになった。SNSに鍵を掛けるのはいろんな理由があるはずだ。

会社の悪口や言いたくても言えなかったこと。もしもこのネガティブな感情が公になると、とんでもないしっぺ返しを受けてしまう可能性だってある。要はリスクヘッジをしているということ。

いまはSNSに鍵を掛けている友人がほとんどで、1度フォローを外してしまうと、フォローの承認をしてもらう必要がある。昔は承認なんて必要なかったのに、彼らの承認を得なければ、彼らの今を見ることさえ許されない。

社会人になってからは学生時代の友人と会う機会がかなり減った。みんなそれぞれの道を進み、守るべきもののために、日々を過ごしている。少し寂しいような気もするけど、少しずつ歳を重ねるごとに、大切なものは変わっていくから仕方がないことだ。

僕自身も目の前の人やものを大切にしていきたい。でも、友人と過ごした日々はいまでも宝物のままだし、それはずっと変わることのない事実でもある。日々誰かに生かされていることを忘れないように生きていたいね。

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