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10日後の10年目を、福島第一原発で迎えます。

コロナだ、ワクチンだ、総理の長男だ、と叫んでるうちに、10日後、2011年3月11日から10年目を迎えます。10年目の節目に、僕は、10年前にご縁をいただいた、福島を訪れることにしました。そのきっかけは、釜石を訪れた際にお話を伺った宝来館の女将さんでした。

政府のあらゆる支援がこの10年目で終了し、その支援の下に住んでくださっていた方々が続々と職を失うのだそうです。自分の本来の住処に戻る方もいれば、釜石に残りたい(けど仕事どうしよう)という方も。被災地だった東北は、この10年の節目に、僕たちが思っている以上の節目を迎えています。

女将さんはこの10年を「育ててもらった10年だった」と語り、「30年後に世界一のふるさとを作る時間をいただいた」と仰った。その言葉の裏にある覚悟を感じましたし、いやはや、10年前から東北に育てていただいたのは、むしろお邪魔した僕の方ですよ、と。

育てていただいた、ふくしま。

提供から間も無く2周年を迎えるHafHというサービス は、僕がこれまで出会ってきた全ての人からの学びによってつくられています。その中に福島のみなさんが与えてくれたぬくもりは、僕の人生に大きな学びを届けてくれました。当時の僕は、被爆3世の身として「ヒバク」という言葉を通じて、福島のみなさんとどう向き合っていいのか、答えがなかなか出ませんでした。おどおどしていたかもしれない。変に粋がっていたかもしれない。なのに、いつもあたたかい。あたたかいだけじゃない。強い。福島のみなさんからは、強さを感じていました。他のどのコミュニティにもない、大きな運命を背負った、強さ。

福島第一原発にもっとも近いHafH提携拠点「小高 PIONEER VILLAGE」(OPV、写真)は、僕にとっても特別なHafH拠点です。10年前にいただいたご縁から、HafH拠点として提携してくださっています。今回、10年目という特別な節目に、どうにか福島に滞在できないかと相談させていただいたところ、コミュニティマネジャーから、「事前の予約を受けて、福島第一原発の構内を見学することもできます」というアドバイスをいただきました。

↓HafHでの予約はこちらから↓

福島第一原発に行ってきます。

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OPVの会員としてAFWの吉川さんをご紹介いただき、なんどもご相談を重ねながら、2021年3月12日に、福島第一原発を見学させていただくことになりました。廃炉に向けて動く「福島第一原発」を学べる環境を作る、その活動を通じてご案内いただきます。

この見学を、この日に行うことは、誰かに非難されることなのではないかと福島の方に相談をしました。思っていた以上に驚かれた。「立ち入れない場所...(まさかそんな場所に行こうとするなんて!)」と。やはりそういう場所なのか。10年前、原発に近づくにつれて鳴り響いた、ガイガーカウンター。足を踏み入れるだけで、当時の怖さが蘇ってくるだろう、と。大切に思う人たちが、足を踏み入れられない場所に、僕は踏み入れていいのか。

学生たちの想いの強さが、背中を押した

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HafHには少なからず学生たちにも利用されています。利用者全体の13%hは学生による利用です。その中で、HafHを通じて学びを得るHafH Collegeなる企画を長崎でやっているのですが、その学生コミュニティに、今回の件を相談しました。覚悟を持って、九州から、福島まで、自腹で、来れるか。返答の一部をシェアさせてください。

私は中学2年生の時に、(震災から4年目)バスで静岡から被災地へ向かいました。衝撃は受けて、現地の方の生々しいお話を伺い涙しました。しかし、自分ごとにできずに、観光のように楽しく帰ってきました。熊本の被災地でのボランティア作業を行い、あの時の感情を思い出し、悔しく感じました。
私は被災者ではないから、実際に同じ気持ちにはなれない。だけれど、そんな私に出来ることがあるかもしれないと思っています。私は大学で看護の勉強をしていて、熊本へ行き災害看護にも興味を持ち始めました。被災地でおこる病について(被爆の影響など)学びたいです。実際に原発で、何が起きたのか、原子力発電所の周りの風景、そしてそこで働く人に、今を生きる人たちに出会ってみたいです。そして自分でいろんな感情を感じそこから行動に移していきたいです。福島原子力発電については昔流れていたテレビでの情報だけしか知らないため、実際に伺って現状をしりたいです。(静岡県・大学生)
長崎の原爆を通して放射能の怖さを知りました。震災当時は小学3年生でしたが、テレビから聞こえる「ヒバク」という響きに、見過ごしてはいけないものだと感じていました。長崎でも高校生のとき3.11の集いに参加し、ヒバクという共通点を持つ福島に想いを寄せていましたし、3.11で被災した友だちの話をたくさん聞いたり、海外の友だちにもその話をしたりしていました。外に出れば、そこで出会った人からしたら私が日本の代表だから、日本のことをたくさん伝えられる存在でありたいという気持ちがあったからです。しかしまだ、東北へは自分の足で行ったことがありません。いくら伝えたいと思っていても、伝えられる状況や想いは私の内から出る言葉ではなく、誰かから聞いた話を伝えることで限界です。その違和感をずっと抱えていました。私は将来、国際社会の場で活動したいと思っています。ですが、この違和感を抱えたまま伝え続けることには納得できません。自分の五感で感じた福島を、伝えていきたいです。熊本の災害ボランティアで出会った嶋村さんから東北でのボランティア活動のお話もお聞きして、東北に行こうと決めた際に今回のツアーのことを知ったので、今がその時だと思いました。
私は東日本大震災が発生した日、当時小3の私は帰宅後テレビで津波の映像を見て心配しながらも書道教室に行き、しかしどうしても心配と恐怖で手が震え全く文字が書けなかったことを今でも鮮明に覚えています。今考えればその後現地を訪問するチャンスはきっと何度もあったにもかかわらず、「福島には入ることができない」と自ら思ってしまっていました。でもきっと私にとっては今回がその"チャンス"だと確信しています。訪問の際には実際に自分の体で感じ取るものを大切にしたいです。そして私は大学で健康福祉工学のゼミを検討しています。福島第一原発では人の代わりにロボットがなかな撮影をし、活躍していました。その部分にも非常に興味関心があり、今後自分の人生中での大きな起点になると確信しています。目で見て、耳で聞いて、空気に触れて、心で感じ取る、実際に現地に行かなければどんな心境の変化があるかはわかりませんが、きっとチャンスは今である。私はそう思っています。

そうか。あの時彼らは小学生だったのか。驚きました。それから10年という月日の大きさを実感しました。大人になった彼らが見るべきことがあるような気がしました。臆病で、無力な僕が、できることが何かあるのかもしれない。僕が連れて行くことは彼らにとって何か巻き込むことになるのかもしれないけれど。こんな強い想いで参加してくれる彼らから、さらなる学びを得て、僕は3月11日と12日、福島にいます。福島第一原発に向かいます。

コロナも大変です。ワクチンも気になります。総理の長男の不祥事も看過してはならないことです。ただ、10日後の3月11日と12日は、やっぱり目を向けてほしい。あの日を、もう一度、思い出して。あの悲しみと、それを乗り越える強さと。ここから30年後の未来を描ける一員であるために。僕はHafHを使って、福島へ。

福島市内の宿泊は「YUMORI ONSEN HOSTEL」。歴史ある湯治場である土湯温泉の旅館を改装したYUMORIは温泉も楽しめて、山あいの静かな環境で仕事をしながら長期滞在したくなるホステル。共用ラウンジ、無料Wi-Fi、無料専用駐車場、温泉、共用キッチンあり。

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震災を学ぶなら、OPVともう1つ「KIBOTCHA」もぜひご利用ください。東日本大震災で廃校となった小学校をリノベーションした施設です。滞在しながら防災について学べます。体感型室内パーク、防災体験ゾーン、学習ルーム、資料館があり、小さなお子様はアスレチック感覚で遊びながら、大人の方には資料や映像にて防災に関して体感いただける施設です。KIBOTCHA(キボッチャ)= 「希望」「防災」「未来(フューチャー)」を組み合わせ 廃校となった旧野蒜小学校を活用、再生し、エンターテイメントと教育と防災を融合をさせ、自然に心と体で、命を守ることを習慣とできる空間です。

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