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今、求められる「アート思考」と、電通と、私。


この記事が話題になっているけれど、先日、Hafh Fukuoka THE LIFE のオープニングイベントでご一緒した 若宮和男 さんの「ハウ・トゥ・アート・シンキング」が、とてもシンプルにアート思考のハウトゥをまとめているから、記事が気になった方にぜひオススメ。

めちゃくちゃ読みやすいし、シンパシーしかなかったんだけど、読みながら、僕的にずっと気になっていた、とある「謎」が、あとがきに謎解きのように紹介してあって「そういうことか!」と。

最初の記事も、若宮さんの本でも、共通して言えるのは、アート思考って全然難しいものではなくて、子どもたちの純粋無垢な感覚に、あたり前に備わっている(大人目線でいうと、僕たちにも「備わっていた」)ということ。

子どもの頃、あたりまえに持っていたはずのアート思考が、教育を受けるにつれてどんどんなくなっていっちゃってる。アートは決して難しいことじゃないし、あえて学ぼうとして学ぶものでもないはず。

若宮さんの本にも紹介があったけれど「便器を美術展に展示することが表現の1つだ」と言うのであれば、それはアートになりえるとても簡単な最初の一歩なんだけど、一方でアート思考を持つことが誰でもできるとしても、これまでの価値観を破り「そういうことか」という閃きを今の時代に届けるところに価値が生まれるので、アート思考の先に価値あるアウトプットを出せるかどうかは、また別問題でもある。

今の大人は「結果を出す」ことの難しさにとらわれ過ぎて、アート思考を持つこと自体を難しく捉えてしまっているのかもしれない。

先日、母校に行った際に、好きだと感じたことを、存分に好きだ、と表現する後輩たちをみて、未来を楽しみにしたんだけど、彼らは、これから大人になるにつれて、それを言えなくなってしまうのだろうか。

これまで大量消費の時代を長らく過ごしてきた日本は「みんな同じ」であることが正義だったから、そんな大人たちに「好きなことばかり言ってないで、勉強しなさい」と、好きなことを好きだということを封じられてしまうんじゃないか。

僕たち大人は、もはやそんな時代じゃなくなっていることに早く気づかないといけない。どれだけ「自分は違う」を出せる人たちが集まる組織こそが、これからどれだけ持続的に強いものになるだろうか。

アート思考を持つ採用こそ、少なくとも、僕の会社には必要な人材だし、きっとこれから、あらゆる社会で求められる時代になると確信しています。

そういう意味で、電通って、正直ものすごいアート思考のもとに、社会にない何かを生み出すプロフェッショナルであるはずで、社員としても、誰しも口を揃えて自慢する「電通らしさ」なんですよね。100色の名刺がそのアイデンティティを象徴していて、OB訪問なんかすると「いろんな野獣がいる動物園のような会社だ」と表現する人がいるくらいに。

入社した途端に、一気に「社会人として」のラインに一律並べさせられるから、それはそれでとっても辛かったんだけど(正直、今振り返れば、あの時期、僕の自律神経はちょっとおかしくなっていたように思う)、ある意味「てめーの個性ってそんなもんなのか」と向き合わされるとても大事な時期になっていて、入社早々のブートキャンプ的1ヶ月を乗り越えることで、むしろ個性に磨きがかかって、素晴らしい活躍に繋がっていく仕立てになっていたように振り返れます。

電通ってのは、そういう意味で、日本一のアート思考カンパニーのはず。なのに「コンプライアンス」だの「働き方改革」というのは、またそのアート思考を塞ぐような方向になっている気がしてなりません。


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