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過去からの声

掌編小説書きました。決して多くはないかもしれませんが、こういう物語を必要とする人はいる、と私は信じています。拙くてもその想いだけは込めました。

「過去からの声」

 世界は終焉を迎えつつあるということが人類の共通項となりはじめてからは、自殺者が後を絶たない。どうせ死ぬのだから愚かな行為だと思いつつも心のどこかで強い共感を覚えている自分がいる。自ら死を選んだ者たちが羨ましい。心底、羨ましい。きみは死なないのか、という内なる声が聞こえる。何故その声に抗おうとしているのか、私自身分かっていない。生への執着心はすでに尽きてしまっているが、希死念慮がいつまで経ってもわいてこない。それを持っていたかつての友人たちのほうがずっと人間らしかったのではないか。もう声高に、生きろ、と叫ぶ人間はいない。誰もがその言葉の虚しさを知っているからだ。

 子どものころに夢見ていた大人な自分、が本当の夢物語になってしまったことを知ってから、どれくらいの月日が経っただろうか。確か……。環境によって私はだいぶ大人びた――あるいは達観した、というほうが適切だろうか――性格になってしまったが、年齢的にはまだ高校生でしかない。と言っても長く高校には行っていない。それは私だけに限ったことではなく、多くの人が学校というものを必要としなくなった。希望に溢れた未来はもうどこにも存在しないのだから。学校も試験も何も無いことが楽しい、というアニメの主題歌がかつて存在したけれど、実際にそれらが無くなってしまった世界は、こんなにも悲痛に満ちている。

 かすかだが確かに希望は存在する、と信じる者たちは確かにいて、彼らが作った小さなグループが大きな共同体となりつつあることは知っていたが、私はそれをどこか冷めた目で眺めていた。希望はあるのだ、とこんな希望の無い世界で声高に叫ぶ姿は滑稽ではあるものの、共感できないわけではない。しかし彼らは決して、生きろ、これからも世界は続いていく、というような意味合いのことを叫ぶのではなく、死後の世界にこそ希望はあるのだ、と自殺という行為を賛美している。そう、現時点のこの世界に希望はないのだ、と自分たちで認めていて、彼らが、そうだ、そうだ、と言い合うそれは、どこかカルト宗教染みている。

「きみは、入らないのか?」

 と私を誘った中学時代の友人とはそれ以降会っていない。止める気はなかった。彼の残り少ない人生を他人がとやかく言うものではない。だけど私も同様に残り少ない人生を他人に強いられる気はない。

 カーテンを開けると、雨が降っていた。もう長く見ていなかった光景に私は思わず息を呑んでしまった。暗く寒い状態が延々と続く毎日の中で、快晴の空も、雨も、雪も、ほとんど見られないものになってしまっていた。

『ねえ、きみは覚えてる?』

 そんな声が聞こえた気がした。聞き馴染みのある声だが、その声の持ち主はもういないはずだった。回想が生んだ幻聴だろうか。

 私は雨を見ながら、まだ大人になれると信じていた頃のことを思い出していた。

 あの日も雨だった。

 私たち……そう私と彼はあの雨の夜、誰もいない学校に忍び込んだのだ。夜中にある教室で、幽霊が出る、という噂の真相を確かめよう。そんな幼心の中に芽生えた恐怖心と探求心が、当時の私たちの原動力になっていたことは間違いない。

 静寂に包まれた学校内をこっそりと歩きながら、私たちは目的の教室を目指した。私も彼も恐怖で口数がすくなくなっていた。それは心霊スポットを歩き回るような怖さももちろんあったが、それ以上に先生に見つかるかもしれない、という恐怖があった。それでも恐怖を上回る好奇心があったあの頃がとても懐かしい。

 私たちが、その目指した教室にたどり着くことはなかった。私たちの物ではない懐中電灯とそれを持つ大人――顔は見えなかったけれど、見回りの先生以外考えられない――に見つかって、私たちは追い掛けられた。運動部に入っていて日頃から身体を動かしていた私のほうが彼よりも足が早く、逃げる私と彼の距離はすこしずつ開いていったが、彼を気に掛ける余裕は無かった。

 途中で後ろから階段を転げ落ちるような大きな音が聞こえ、彼もそして先生も近付いてくる気配は一向に無かったが、私は彼らを無視して走り続けた。

〈昨日の夜、校舎内で一人の生徒が死んだ〉

 あの時、もしも振り返ってすぐに駈け寄っていたら、彼は生きていたのだろうか。いや追い掛けてきていた先生がそこにいても助からなかったのだから、結果は変わらなかったはずだ。私は自分にそう言い聞かせ続けたけれど、見捨てた、という事実が変わることはない。

 雨の中、気付けば私は、傘も差さずにかつて通っていた小学校を訪れていた。そこは日中でも人の気配がまるでなく、ただ死んだように建っている。生徒たちも学校に籍を残しているだけで、もう誰も通っていないのだから、廃校と言ってしまっていいだろう。

 ずぶぬれのまま校舎の中に入り、彼の死んだ場所へと赴くと、そこには花束が二つ捧げられていた。花束と一緒に添えられたカードには謝罪の言葉と名前と日付が書かれてある。その名前は二つとも同じだった。あの日、私たちを追い掛けてきた先生が、去年と一昨年の彼の命日に置いていったものらしい。ああ、そうだ世界の終焉を人類が知るようになってから、もう三年近く経っているのだった。人の死がとても軽いものになってからも、先生はすでに死者となっていたものを悼み続けていたのだ。私は死が軽くなってしまった環境とともに、そのことを忘れてしまっていたのに……。

 廃校のような形になる前はきっと別の形で悼んでいたのだろう。その先生の行為と息苦しいほどの罪悪感で、一筋の涙が流れる。

「ごめん」

『仕方ない。許してやる……』呆れたような声はきっと幻聴だろう。そんな都合の良い話なんてあるわけない。

 彼は、許してくれないかもしれない。草葉の陰で恨みを抱き続けているかもしれない。それでもここへ来れて良かったと思っている。来年、まだ世界が終わっていなかったら、私も花束を携えてこの場所に来よう。それまでは自ら死を選ぶわけにはいかない。

 何故、きみは死を選ばないのか?

 すこしだけ分かった気がする。私はまだやり残したことがあるからだ。そこに長い短いなんて関係ない。彼との出来事のように忘れてしまっているだけで、まだまだあるような気がする以上、死んでなんていられない。

 正しいかどうかなんて分からないが、私は今日も、生を選ぶ。

                           (了)